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●総督 そうとく

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 明・清時代の地方長官。別称,制軍・制憲・制台。英米人は Governor-generalの訳をあてた。清代には一般に複数の省の民政・軍政を統轄する最上級地方官となっている。巡撫とあわせて督撫と略称される。

【明代の総督】明代の総督は元来辺境防備や反乱鎮圧に際し,複数の軍区や省の軍事を統轄する目的で中央より派遣された臨時の軍事長官に授けられた職名であった。明末に対満州族防備や反乱のため軍興がしきりとなると,遼東・薊州,大同・宣府,陝西,両広の総督は,1522〜1566年(嘉靖年間)より半ば常設のようになり,他の地区にも1620〜1630年代にかけて次々と設置された。また総督が巡撫を兼職して民政をも管掌することもあった。

【清代の総督】清初の督撫は,〈事あるごとに置廃し,地に随って分併する〉(『大清会典』)といわれるように,必ずしも省を単位として置かれるものでもなく,一時的な性格のものであった。1665年(康煕4)にいたって督撫の統廃合が実施された結果,巡撫は省ごとに,総督は湖広・四川・福建・四川が一省一総督のほかは二,三省を併せて一総督を置いた。これで制度的にはやや安定したが,総督の管轄省区にはしばしば変動があり,固定化されるのは乾隆中期をまたねばならなかった。漕運総督は遭運事務の統轄を専門とし,河道総督は大運河の維持整備を任務とした。轄区が複数の省にまたがる点は共通するが,地方長官たる一般の総督と性格を異にしている。

【総督の職階と職掌】元来,巡撫総督は尚書・侍郎都御史など中央の重臣が一時的な軍務統轄の任を帯びて地方に出向する,伝統的な官制上の言葉で言えば,差遣の一種である。したがって,督撫それ自体には位階の上下と俸給のランクを示す官品は付属しなかった。清代には常設の官職となり『乾隆会典』からは巡撫は従二品,総督は正二品と規定されたが,巡撫で兵部侍郎を兼銜すれば正二品,総督で兵部尚書を兼銜すれば従一品となった。一般に巡撫は兵部右侍郎都察院副都御史,総督は兵部尚書・都察院都御史を兼銜した。巡撫と総督の職掌の区分はあいまいであって,その多くは重複しているが,軍政は総督の専管に属し,無総督の省の巡撫は提督を兼職することによって軍政に関与した。また一般民政は巡撫が司り,公式の上奏文たる題本や六部との直接往来文である咨文は巡撫が作成したのち,総督と連名押印して上提した。ただ州県官以下の日常的人事は総督と連名する必要はなく,道府以上の人事・海防・外交・少数民族問題などは総督が司って題本咨文を作成し,巡撫と連名で上程した。皇帝への私信たる奏摺(そうしょう)が布政使・按察使にも許されたのを除き,題本咨文による中央への公式の情報や要求の伝達,中央からの使命の下達はほとんど督撫を通じてのみ行われたため(一政務を専管する学政・塩政,および軍官たる将軍・提督・総兵には題本咨文を上程でき,督撫を牽制した),一省の軍事・財政・民政・司法・文教・吏治のあらゆる方面の情報と権限が督撫に集中し,職権は広汎かつ強大であった。

【清末の督撫権力】清末には太平天国などの反乱の続発,外圧の増大という国家的危機によって中央政府の権力と威信は相対的に低下し,地方督撫の実質的権力が増大するという現象が表れた。外交においても,1870年より南洋大臣北洋大臣両江総督と直隷総督とが兼任し,また南洋北洋両海軍を指揮した。緑営・八旗に代わって主要な陸戦力となった勇営も地方督撫に直属し,財政面では厘金など地方財源が増大して督撫の財政権が強化された。地方事務の拡大に伴なう官員の増加は,吏部の任命によらない委員の任用によって賄われ,その人事権も督撫に集中した。こうして〈督撫専攻〉の様相が表れた。

〔参考文献〕『清国行政法』1905〜1914,臨時台湾旧慣調査会傅宗懋『清代督撫制度』1963,国立政治大学羅爾綱『湘軍新志』国立中央研究院,社会科学研究所叢刊,1839,商務印書館

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