●宗湛 そうたん
アジア 日本 AD1551 室町時代
1551〜1635(天文20〜寛永1)神谷宗湛をさす。安土桃山〜江戸初期の博多豪商(貿易商)で茶人。幼名善四郎,重清。低谷宗旦ともいう。青年期には兵火で焼かれた博多を捨て唐津で暮らした。1582年(天正10)には信長の本能寺の変に遭い,1586年再度上洛して大徳寺で得度して宗湛と号す。堺の茶人千利休と親交を結び,九州征伐に際しては秀吉につき,島井宗室らとともに博多復興を命ぜられる。ついで文禄慶長の朝鮮出兵のときは兵糧米調達を命ぜられ,秀吉に協力した。そのあと徳川家康政権が成立すると,家康に忠誠をつくす贈り物をし,1624年には藩主黒田氏に家宝博多文躰を献上させられ,その対価として500石と金千両を与えられた。晩年は失意のなかに世を去っている。『宗湛日記』3巻は,1586〜1613(天正14〜慶長18)の茶会の様子を書き著したもので茶の湯の研究史料として貴重なものである。