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●相続慣行 そうぞくかんこう

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 家長ないし家族員の死亡・隠居などによって開始される財産や地位・権限などの授受をめぐる諸慣行のことをいう。財産の授受のことを「財産相続」「遺産相続」あるいは単に「相続」といい,地位・権限などの授受のことを「身分相続」「家督相続」あるいは単に「継承」と呼んで区別する。後者において,地位・権限についての家長・戸主のものを家長権・戸主権,主婦のものを主婦権と称する。ただし,「継承」には地位・権限のほか,身分・官職や家名(家印・屋号・家紋等を含む)・家格(家風・家柄等を含む),あるいは系譜・祭具・墳墓・社祠など,“家の文化”とされるもののすべてが含まれる,さまざまな相続慣行において,身分の継承と財産の相続とが必ずしも明瞭に切り離されているものではなく,両者はしばしば統合して表れる。たとえば,長子相続は単に長子による財産の単独相続・優越相続をさすのではなく,“家”の継承の問題をも含めるのが通例である。明治民法で規定された「家督相続」も同じで,戸主に関する地位・権限の継承と財産の相続とを合わせた用法であった。この場合,「家督相続」と「継承」とは内容が同一でないことに注意して取りかからなければならない。

【身分の継承】「継承」慣行において,その中心をなすのは家長権・戸主権の授受である。家長権をヨと呼び,その所有者をヨヌシという所もある。一般に家長権の内容としては,[1]代表権(家を代表して親族や同族,あるいは村組や村落など,社会生活の一員に参与すべき責任と権限),[2]監督権(家族員の保育・教育・就職・扶養など,あるいは婚姻・養子・分家など人事万般について監督すべき責任と権限),[3]財産権(家長・家族員の保持する財産の管理にあたり,家業の経営をはかり,家族生活の経済的な基盤を支えるべき責任と権限),[4]祭祠権(仏壇・位牌・神棚・社祠・墳墓などを管理し,年忌・法事などを含む祖先の祭祀を営むべき責任と権限),などがあげられる。これらの家長権は時代と地域により,また職業と身分などにより,責任と権限の全体あるいはその一部にさまざまな軽重の差が生じ,必ずしも一様ではない。たとえば広島県御調(みつぎ)郡向島町岩子島には,“仁義供養”ということばが伝えられ,とくに代表権と祭祀権の継承を強調している。

 明治民法では,戸主権の内容を具体的に[1]家族の居所指定権と離籍権,[2]入家同意権,[3]去家同意権,[4]家族の婚姻・縁組同意権と離籍権・復籍拒否権,[5]家族の婚姻・縁組取消権,[6]家族死亡後,その養子の離縁同意権,[7]家族の禁治産・準禁治産宣告権・同取消請求権,[8]家族の後見人・補佐人となる権利義務,[9]親族会召集権,[10]家族の扶養義務,[11]家内財産の所有指定権,など以上11種を規定しており,監督権に集中していたことがわかる。しかし,明治民法が祭祀権を重視したことは,とくに〈系譜,祭具及ヒ墳墓ノ所有権ハ家督相続ノ特権ニ属ス〉(第987条)の条文を設けて明示したことによっても明らかである。

 ところで主婦権については,近世武家社会では家長権が強大化しすぎて,主婦としての権限はほとんど見ることができなかった。しかし当時でも庶民社会,とくに農漁村では主婦も重要な働き手であり,生産活動や労働計画に参加し,こうした方面にもある程度の責任と権限が委ねられていた。そしてとくに主婦の役割とされたのは,家庭生活の運営であり,たとえば生産と消費の調節をはかる点であった。主婦のことを杓子取り・ヘラトリと呼ぶ所があるように,主婦は食物の管理者として一家の経済を切りまわす責任と権限が与えられていた。家長を大きな財布,主婦を小さな財布とたとえ,主婦権は家長権を補完するものと考える人が多いが,少なくとも衣食などの管理をめぐっては独立している場合が珍しくない。このような責任と権限が,息子の嫁に伝えられるのが主婦権の譲渡であり,シャクシワタシ・ヘラワタシ・カカユズリ・センダクワタシなどという地方的な呼称と,これに伴うさまざまな儀礼があって伝承されている。

【財産の相続】財産相続の慣行について,その態様にもとづいて分類してみると,おおよそ次のようになる。財産相続は単独相続と共同相続の二つに分けることができ,共同相続は分割相続と不分割相続とがある。分割相続は均分相続と不均分相続に分けられ,不分割相続には総領相続一子相続とがある。

 日本の相続慣行については,嫡長男子による単独相続が卓越していると見られがちであるが,それは明治民法が「家督相続」を嫡長男子本位に規定したことにも影響されているようである。そもそも単独相続は近世武家社会において典型的な方法であった。武家においては主君からの封禄が経済生活の原点であり,その相続に際しては原則として分割は許されず,嫡長男子が一括して相続すべきものとされた。二男以下の男子は他家に養子として出る以外,“部屋住み”の身で一生長兄に扶養してもらうのであった。このような相続方式は鎌倉末の「総領相続」から発展したもので,嫡長男子が全財産を相続するとともに,二男以下を一族・一家のなかに包み込む体制から変質したものであった。その鎌倉武家社会では元来は分割相続が珍しくなく,所領を統轄すべき惣領(総領)には“器量の仁”が選定される風であった。庶民社会においても,中世末の豪農層は大農経営にもとづき,長男子による総領相続をとり,近世に入ってしだいに単独相続へと転換していった。しかし一般の農民層では,むしろ共同相続の伝統が強く,鎌倉中期以降の小農分立の傾向が表れるとともに,二男以下にも分割相続を行い,村内に分家させる事例が増えてきた。近来の慣行としても,大農経営に従ってきた東北・北陸地方では長男子による単独相続・総領相続を用い,仮に分割したとしても長男子優待の不均分相続であった。これに対して,小農経営の発達した西南日本では,諸男子間の分割相続は当然であり,それも均分相続への精神が尊重されてきた。

 なお一子相続とは,特定の一子あるいは選定された一子が全財産を相続し,他子にはそれぞれの共同相続分に対し,金品で補償する方式をさし,日本においては事例はともかく慣行としては発現していない。

【相続の時期】継承・相続を開始する時期によって,相続慣行は生前相続(生譲り)と死後相続(死譲り)に大別される。現行民法では生前における財産の譲渡を贈与と呼び,相続を死後の遺産相続に限定している。明治民法でも家族の財産には同じく遺産相続だけを規定した。しかしこれらは必ずしも現実と合致せず,とくに分割相続の慣行地域ではなんらかの生譲りを実施しないと慣行の意義さえ失いかねないわけである。「家督相続」については明治民法も生譲りを認め,これに対応する“隠居”の規定を設けていた。アトトリ・アトツギ・ウチトリ・ヨユズリ・ヨワタシ・オトナワタシなど,“継承”を意味する民俗語彙は少なくないが,それらのほとんどは生譲りをさすものと考えられる。現に西南日本では生譲りが広く分布し,さまざまな隠居慣行を伴っている。逆に東北・北陸地方では死譲りが一般的で,隠居慣行も見られない。ところで生譲りにあたって,家長権のすべてを一時に授受するのではなく,時期をずらして少しずつ譲渡する模様である。つまり家業の経営や家族の扶養など肉体労働を要するものは早目に譲渡しようとするのに対し,祖先の祭祀は遅くまで掌握しようとするのである。茨城県北部では,隠居者が仏壇と位牌を隠居部屋に移し,盆・彼岸や年忌など先祖祭りのすべてを主宰する慣わしとなっている。

 なお,主婦権の譲渡は,家長権の譲渡と同時に実現するのが通例であるが,これにまた若干前後する場合もみられる。

【相続人の決定】明治民法では「家督相続」に嫡長男子を規定したが,誰が継承・相続に当たるか,慣行にはさまざまな決定法が伝えられてきた。その態様を示してみると次のようになる。相続(継承)には大きく「選定相続」と「指定相続」の二つに分けられる。「選定相続」はまた「全子選定相続」と「非長子(選定)相続」に分類され,「指定相続」は「長子相続」と「末子相続」の二つに分けて考えられる。このうち「長子相続」は「初生子相続」と「長男子相続」の場合がある。

 ある時期に相続人を選定する「選定相続」は,岡山県和気郡日生町頭(かしら)島の全子選定慣行が知られている以外,ほかには慣行として報告されていない。また末子相続が崩れ,長子を除く誰かに相続させる非長子相続に移る過程でしばしば選定現象を表すが,広い慣行ではない。これに対して予め指定されている指定相続は,古来広汎に行われてきたもので,とくに長子相続は他を圧倒した。長子相続のうち初生子相続姉家督相続とも呼ばれ,東北諸県を中心に関東・中部地方の一部に見られた。男女を問わず初生子に相続権を認めた点に特色があり,初生子が長女ならばこれに婿養子を迎えて相続人にするのである。ただ初生子が女で,のちに弟が長男として生まれた場合,明治民法の嫡長男子主義に背くこともあって,この慣行は明治中期以後急速に廃れた。婿養子相続そのものは各地で頻繁に行われており,これを忌避する沖縄本島の一部を除き,系譜の男系継承を絶対視しなかったことを意味している。ついで末子相続の慣行も西南日本にかなり広く分布していた。これも明治民法に背反するものであるが財産の均分相続,家族構成の小家族主義などと対応しつつ近来まで維持されてきた。そのほか,兄から弟ヘ,また叔父から甥へなどの「傍系相続」については“順養子”の形式をとるものを除いて慣行としては見られない。

〔参考文献〕竹田旦『家をめぐる民俗研究』1970,弘文堂

青山道夫ほか編『講座 家族』5,1974,弘文堂