●曹操 そうそう
アジア 中華人民共和国 AD155 後漢
155〜220(永寿1〜建安25)中国,三国魏の事実上の創設者。沛国ショウ※注1※(安徽省亳県)の人。字は孟徳。後漢の宦官曹騰の養子嵩の子。20歳で孝廉に挙げられ,黄巾の乱のときに騎都尉となり功をたてた。のち董卓が専横を極めると,袁紹を盟主とする連合軍に加わり董卓を攻めたが,効なく連合が崩れたので東部太守となり自立。エンシュウ※注2※に侵入した青州の黄巾を平定してエンシュウ※注2※牧となり,このとき黄巾軍の精鋭を青州兵に組織し軍事力を強固にした。196年(建安1)長安を脱出した献帝を迎え,許(河南省許昌)に擁立して優位に立ち,200年(建安5)袁紹の大軍を官渡の戦いで破り,204年(建安9)袁氏一族を滅ぼしてギョウ※注3※(河北省リンショウ※注4※)に本拠地を移し,210年(建安15)ごろにはほぼ華北を統一した。その間,才能本位で人物を用いたり,屯田制・戸調制・兵戸制などを採用して国力を充実させた。また,208年(建安13)には荊州を降した余勢で江南を平定しようとしたが,赤壁の戦いで孫権・劉備の連合軍に大敗し,以後三国分立の形勢を生じた。同年には丞相,213年(建安18)にはギョウ※注3※を都に魏公となり,216年(建安21)魏王にすすんだ。死後,子の曹丕(文帝)が献帝に禅譲を迫って帝位につき魏王朝を建てると,武帝と諡された。詩人としても一流で『短歌行』などの詩を残し,子の丕・植や建安七子などとともに建安文学を興隆させた。
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