●装身具 そうしんぐ
AD
現代では一般に,身体および衣服を装飾する目的をもって着装する物品のことをいう。かつては,後述するように,信仰的な意味合いや地位の象徴など,さまざまな目的をもって用いられた物であった。また,英語における服装上のアクセサリーに対応する語として,帽子や手拭などの被り物・靴や足袋などの履き物・手袋などの多く実用性をもった物をも含むこともある。しかし一般的には,英語におけるジュエリーに近く,宝石類や貴金属などを加工して,身体や衣服につける工芸品のことである。すなわち,首飾り・腕輪・指輪・カフス=ボタン・装飾用の櫛・簪などを総称していうのである。
この項では,一般的な意味に従い,その歴史を見ていくこととしよう。
【西洋の装身具の歴史】人類が装身具をつけるようになったのは氷河期以来といわれる。人類は,小さな腰布のような簡素な衣類しかもたなかった時代にも,装身具を身につけていたのであった。それは動物の牙や骨・貝殻・石などでつくられた首飾りや腕輪などである。では,人類が食料を得たり野獣から身を守ったりするのに,現代からみれば非常な苦労をするような時代に,なぜ装身具を必要としたのであろうか。そのような時代の装身具は,護符として機能していた。過酷な自然に対して感じる恐怖や不安を取り除きたいという欲求から,装身具は必要とされたのである。現代においても,熱帯の未開の原住民が身につける装身具が護符として機能していることが記録されている。
しかし,原始社会においても,装身具が護符としてだけ機能していたのではない。異性に対して自らの性を主張するような性的欲求。また,それに伴うなどしておこった美的欲求。つまり本能的欲求によっても装身具はつけられたのであった。
以上の欲求によって,またそれらが複合したものによって装身具はつけられたのだが,時代が下ると,さらに新たな意味合いが加わってくる。
古代エジプトのファラオ(王)が黄金の首飾りや腰飾りなどを身につけていたことはよく知られている。歴代のファラオは,国内での金の採取・採掘とともに,交易や軍の遠征によっても金を得ていた。ファラオは,なぜそんなに金に執着したのであろうか。一つには,黄金の輝きが,神々のなかでも重要な位置を占める太陽神ラアと結びつけられたからであった。そして没した太陽が再び昇るように,古代エジプト人は死後の世界での再生を信じたが,金の不朽の性質は,そういう生命の永遠の象徴であった。したがって,金でつくられた装身具にはそんな宗教的な意味がこめられていた。金の装身具をつけたのはファラオだけではないが,最も立派な物をつけられたのはファラオである。装身具は,地位を示すシンボルとしての意味合いももつこととなった。
現代においても,勲章は地位を示す装身具の系列に入るであろう。
古代エジプトでは,金細工をはじめとして,装身具をつくる技術が発達し,トルコ石やジャスパーなどの宝石や色ガラスなども用いて,冠・胸飾り・首飾り・腕輪・指輪・足輪・腰飾り・足首飾りなど豊富な種類の装身具がつくられた。耳飾りは前1500年ころから現れている。また,装身具などの古代エジプト特有のモチーフであるスカラベ(糞甲虫)は,太陽神と結びつけられた宗教的意味のあるモチーフである。
メソポタミアでも,金・銀・宝石・ガラスなどを使って精巧な装身具がつくられた。なかでも注目に値するのは,ウルの王妃の墓にあった数多くの髪飾りなどである。
ギリシア時代には,金・銀・銅の金属を使ったものが多く見られ,金属を打ち出して立体的なつくりにしたものが好まれたようだ。モチーフとしては,ライオン・キューピッド・ヒツジ・ヘビなどが多い。これらも信仰上の意味合いが含まれている。ギリシア特有のものとしては,膝飾りなどが見られる。技術的には高いものを示し,種類も豊富であった。
ローマ時代には,政治家など男性が宝石を好み,ガラスで模造品をつくることが盛んに研究された。ローマ時代の装身具として特有なものに,カメオがある。現代のものとは違って,カーネリアンなどの縞石を使い,その色層を活かして彫刻したものであった。
キリスト教が支配するようになったヨーロッパ中世では,宝石にそれぞれの意味をこめて用いられるようになった。サファイヤは清廉潔白を意味し,最も重要なものとされた。ダイヤモンドも用いられたが,これには魔除けの意味があった。宝石に意味があったせいか,装身具としては指輪が好まれた時代である。
ルネサンス時代には,美術家の多くは装身具の製作も行った。イタリアのサンドロ=ボティチェリ,ドイツのアルブレヒト=デューラーなどが知られている。
ダイヤモンドが宝石の王座の位置についたのは,17世紀末のことであった。ブリリアントカットの技術が完成し,潜在していた輝きが他の宝石を圧することになったのであった。
そのうち18世紀に入ると,装身具は女性のものが中心になっていった。以前は,むしろ男性が,その富や権威を誇示するための装身具として使われることが多かったのだが,以降は女性の装飾としての意味が強くなってゆく。かつての護符としての機能や権威を示すものとしての意味合いは稀薄になり,現代のような美的な欲求が主役となって装身具がつけられるようになったのである。
20世紀に入ると,装身具の大衆化は顕著なものとなり,宝石の精巧なイミテーションがつくられるようになったり,装身具自身の美しさというよりも,服装との調和でその美しさが考えられるようになったりしている。
【日本の装身具の歴史】日本の原始時代における装身具の機能も,西洋の項でみた機能と同様のものである。すなわち,護符の機能をもつもの・宗教的意味合いをもち儀式に用いられたもの・権威のシンボルとなったものなどである。縄文時代では首飾り・腕輪・耳飾りなどがあった。腕輪は,カキやベンケイガイなどの貝殻に穴をあけただけのものであった。耳飾りは,土製品が多く滑車型で耳朶に孔をあけて用いた。大きなものでは直径10cmもあるものが知られる。また滑石でつくられたケツ※注1※状耳飾りと呼ばれるものもあった。耳飾りなどは,南方から伝わった風習と見られる。弥生時代に入ると,縄文時代の貝の腕輪を銅で模したものが見られる。また金属の使用とともにガラス璧など,中国製と見られる装身具が使用されていたこともこの時代の特徴である。
古墳時代には,翡翠・水晶・石英などが磨きあげられ,勾玉・臼玉・くちなし玉・丸玉などの形状を成し,紐を通して首飾りや腕飾りに用いられた。勾玉などは弥生時代に始まったが,古墳時代により洗練されたものとなった。ほかには素材としてガラスや金属なども用いられている。
飛鳥・奈良時代になると,仏教の伝来と時を同じくして,首飾りなどの装身具は姿を消し,ヨーロッパとはかなり違った展開をみせる。装身具の種類は少なくなり,男性では衣服の腰に下げる佩飾り,女性では簪などの髪飾りなどが見られるだけである。平安時代も,国風文化の隆盛に伴って前代とは違ったものが現れたが,装身具はあまり使われなくなった。以降は,桃山時代にいたるまでほとんど使われなかったといってよいほどである。
桃山時代になると,キリスト教文化の影響を受けて,ロザリオなどを首にかける者が男女とも見られた。
江戸時代に入ると,装身具に蒔絵や象嵌などの技法を駆使した日本独特の精巧なものが生まれてくる。印籠や飾り櫛・笄・簪などに,材質も種類も豊富なものが見られる。
明治時代以降は洋装の移入とともに装身具も洋風のものとなっていくが,和装用として帯どめの金具に精緻なものがつくられもした。そして,洋装用の装身具が大衆的なものとなり一般化したのは,第二次世界大戦後のことである。
![]()