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●造士館 ぞうしかん

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 1773年(安永2)2月,島津家26代重豪が教学振興のため,江戸の昌平黌をまねて設立した藩黌。財政窮乏の中で,枡形内3,350坪の敷地に壮麗な宣成殿・御供殿・講堂・学寮・文庫・仰高門・入徳門などを建てた。当初は聖堂といい,山本正誼を聖堂奉行にしたが,造士館,教授と改め,助教・都講・句読師・補助役など各15名,書記10名の教職員を置き,城下士の8歳から21〜22歳の子弟を入れた。学生数は400〜800人で,郷士や庶民も末席で聴講を許された。教科は孝経四書五経や和漢の経史,詩文の講義で,習字も必須だった。演武館も併設。朱子学を正とし異学を禁じたが,幕末には崎門学,陽明学も交え,国学,洋学も開講。1869年(明治2),漢学局・国学局・洋学局の三局を設けたが,翌年統合して本校とし,地方にも分校を設けて,卒業生を本校に入れた。1884年(明治17),鹿児島県立中学造士館として,1901年(明治34),官立第七高等学校造士館となる。