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●葬式 そうしき

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 死者の霊魂と肉体を処理するに伴なう儀式。葬礼,葬儀などともいう。肉体の処理は,洗骨改葬を伴なうものもあるが,一般には土葬は埋葬をもって終わり,火葬の場合は納骨で終了する。霊魂の処理は単純でない。日本は諸文明の進んでいるにかかわらず,近いころまで霊魂信仰の考えかたが根強く残っており,霊魂が肉体のなかに安定した状態で留まっているあいだ,その人は生きて活動できるように考えた。したがって生理的には死亡したのちも,霊魂の処理は残っており,33年目とか49年目とかの弔(とむらい)上げをもって終わるものとした。歴史的にみると葬式は,死の前後から弔い上げまでの諸儀式を総称するものであった。のちに埋葬(火葬)後の諸儀式は供養行事として仏教の管理に移り,また近来は火葬が多くなったために葬別も簡略になり,出棺直前の告別式だけを葬式と呼ぶことさえある。葬式の意味する範囲が狭くなってきたのである。

【死の前後】現代は死の時期の判定が厳密であるが,医学の進まぬ時代には困難であった。死んだと思って埋葬したら生きていたなどという話は多い。また死は霊魂の一時的な遊離とも考えられたので,死の直後に魂呼びをして,よみがえらせようとする呪術が広く行われた。魂呼びは中国古代の『礼記』にも記述されており,日本でも中世の公卿の日記などに残っているが,明治時代のながごろまでは全国で知らぬ村がないほどであった。屋根の上に上がったり,井戸の底にむかったり,枕もとで大声で名前を呼び,遠ざかる死者の霊を呼び戻そうとした。息を引きとったことが確認されると,遺体を北枕に寝せる。釈尊入滅のとき,「頭北,面西,右脇臥」の姿勢であったという故事にもとづく。着物の襟と裾を逆にした逆さ着物をかぶせ,枕屏風の上下を逆にした逆さ屏風で囲い,一本花,一本線香,枕飯を供える。枕飯はお椀のふたに1ぱいの玄米を,洗わず急いで炊くもので,日常使用のかまどを使わず,土間などに臨時のかまどをつくり,なべのふたをせずに炊く。それを死者の生前使っていた茶椀に全部盛りつけ,箸を立てて供える。これらの行為は日常は忌まれる。神棚には白紙を貼ったりして封じ,仏壇も閉じる。死者の枕もとか胸の上には刃物をおいた。武士なら短刀,百姓なら鎌などという時代もあったが,剃刀などをおき,箒をおく例もある。死の前後は霊魂が不安定な状態にあるので,邪霊が入り込まないようにとの配慮である。邪霊は物理的な存在ではないから,猫などを邪霊にみ立て,死者の上を猫がとびこえると,猫魂が入って死者がおきあがるという。今でも死体のそばに猫を近づけるものでないといい,飼猫は他家に預けたりつないでおくことがある。猫に限らず家畜には餌を与えて鳴声をたてぬように心をくばる。亡くなった日の夜か翌夜に通夜をして,通夜の翌日に湯灌(ゆかん)・入棺をすませ,午後に出棺というのがふつうの段どりであるが,今は通夜の前に入棺することが多い。通夜というのは文字通り,近親者が夜どおし死者のそばにつきそって,息を吹きかえすことはないか,邪霊が入ってこないかとみ守っていることであった。通夜のときに出す夜食を“目ざまし”といったりする。入棺に先だつ湯灌も近親者の役目である。水に湯を入れ(これを逆さ水といって日常は忌む),死者を裸にしてタライの中で洗った。縄帯,縄だすき姿で洗ったものである。仏教では死ぬと僧籍に入る意味で髪を剃ったが,たいてい略して刃物をあてるだけにする。湯灌の湯は床下や便所など日のあたらないところに捨てる。次に納棺(入棺に同じ)である。近来,寝棺が多くなったが,以前は桶棺や縦棺が一般的であった。座棺ともいう。座わった姿勢で死ぬ人は少ないから,座棺に納めるためには,死後硬直の遺体を折りまけなければならない。首から膝に帯をかけて強く引く。この帯を極楽縄とか浄土縄と呼んだ。遺体には経帷子(きょうかたびら)を左前に着せ,首から頭陀袋(ずだぶくろ)をかけさせる。経帷子は親類の年輩の女性たちが引っぱり合うようにして縫い,糸尻をとめない。頭陀袋には生前の嗜好品や五穀や穴あき銭を入れた。

葬式組の活動】明治初年,東京に葬儀社ができ,都市を中心に少しずつ葬祭業が広まったが,それまでは葬式組という地域集団が,葬式いっさいをとりしきった。葬式組の発生については,念仏講のような任意集団による相互扶助が組織化されたのであろうが,人の交際が広がって葬儀が大がかりになると,葬式組は不可欠の存在となり,村組織の基本的な単位とかさなってきた。たいてい10〜20軒で組織し,50軒の集落なら3組,というふうに地域で分けている。ふだん仲の悪い家同士でも,葬式と火事見舞いだけには協力するものであった。葬式組の分担する仕事は種々ある。まず死亡通知役。のちには電報・電話と変わったが,2人1組になって知らせ歩いた。寺への連絡には親族の行くことが多いが,坊さんの荷物を入れた“はさみ箱”をもつのを葬式組の人が受けもつ。町への買物や諸届の代行も引き受ける。次には野道具づくりの仕事がある。伝統的な葬式では親族や近隣の人たちが,のちに説明するような種々の野道具をもち,行列をつくって埋葬地や火葬場に向かった。その野道具は出棺の日の午前中に,葬式組の人たちが集まって急いでつくったのである。棺もその時につくった。江戸時代の江戸で,棺桶のことを早桶と呼んだのは,粗末であっても早くつくるものだったからである。大工に頼むときは1日の手間賃を支払う。次には帳場。香典の受付係である。受けた好意に対して何らかのお返しをすることが,義理の基本と考えられていたから,香典帳は永く保存して付合い関係の台帳にした。葬式には多かれ少なかれ飲食の接待があり,葬式組のなかの婦人たちは炊事係を受けもつ。墓穴掘りも葬式組の役目であるが,ほかの役にくらべて重労働なので,公平に割り振る必要がある。多くの地方では専用の帳面を用意し記録を残すようにしている。墓穴掘りの現場では,手洗い酒とか足洗い酒とかいって酒1升を提供する。たいてい穴掘り役が帰ってきて手足を洗って棺をかつぐので,埋葬をおえてから皆で膳に着くようなときも,穴掘り役を上座にすえるなどの配慮がある。葬列でもあまり重要でない野道具は葬式組の人がもつ。墓穴掘りも棺かつぎも,本来は近親者の役目であったろうと思われるが,他人にまかせることになって謝礼を出すようになり,また地方によっては不当に差別を受けていた人々に依頼していた。棺かつぎのとき,はじめちょっと近親者が肩を入れたりするのは,本来は近親者の仕事だったことの名残りである。葬式全般はしだいに他人の手に移り,近親者は喪服を着て弔問者に挨拶することが主要な役目になった。

【出棺・葬列葬列の出発を出棺という。それに先だって近親者が出立ちの膳につくことがある。一種の食い別れである。弔問者も茶碗酒を立ったままで飲む。別れの酒である。棺は通常の出入口でなく,縁側から直接外に出す。そのとき仮り門といって竹などで門の形をつくったなかを通す。出棺時には死者生前の茶碗をわる。棺の出たあとすぐに部屋を掃き出し,ざるを転がしたりするところがある。棺は庭先か途中か墓に着いてから,左回りに3回まわす。死者の霊が迷い戻ってこないための呪いだと説明されている。葬列の順序は各地各様で,家族・親族の構成によっても一様でないが一例を示す。葬列の出発に先だち辻蝋という役が行く。竹の先に蝋燭をつけたのをもって墓までの道の曲がり角に立ててくる。案内役である。昼間でも松明(たいまつ)が行く。実用的なものとは限らず,わらたばに赤い紙をつけたものなどを使う。幡(はた)が4本。笹竹の枝をおろして白紙か布を下げたもの。高燈籠も木片と紙でつくり笹竹につける。龍頭(たつがしら)も竹製で,紙を巻いて墨で蛇腹を書いたりする。紙花(しか,しかばな)は死花,四花とも書く。竹ひごに紙を貼りつけて刻み目を入れたもの4本。簡単なものは大根の輪切りに突きさしておく。花籠は荒目に編んだ籠の編み残しを切らずに垂らし,竿の先につけたもので,上に色紙の紙花をつける。籠のなかには銭をおひねりにしたのを入れておいて,道々ゆすって落として行く。子供が争って拾ったものであるが,死者への供養になるという考えである。杖は棺に入れることもあるが,孫がもって行く。ウツギや竹に紙を巻いたもの。棺にさしかける天蓋(てんがい)は娘婿のもつもの。僧が参列するときは棺の前後につく。相続人が位牌をもち,その妻が枕飯などをのせた膳をもつ。あとは香炉とか造花とかが続く。近年は遺影として写真が重視される。棺の前か後に1反の晒を引き延え,善の綱(ぜんのつな)といって参列の婦人たちがもつ。棺の前の場合は引き綱,後ろのときは押し綱という。近親者と棺をかつぐ人は,ひたいに三角の紙または布をつけ,わらじかわらぞうりをはく。帰りには鼻緒を切って捨て,はだしか別に用意したはきもので帰る。女性の喪服は晴れ着か白であったが,明治のころから黒が普及した。髪も忌島田とか精進まげといって,うしろで束ねてわらでしばったりした。埋葬のときは最初に近親者が土をかける。埋めた上は土饅頭(どまんじゅう)を築き,位牌・枕飯・水・花などを供える。この位牌は野位牌という白木のもので,家でまつるものとは別である。墓上に霊屋と称する小屋形のものをおくときは,野位牌もそのなかにまつる。野道具の竹で垣根をつくったり,曲げてまわりにさしたり,古鎌を立てたりする。息つき竹といって,竹の節を抜いて棺に届くほど突きさしてくるところもある。野辺送りから帰ると,葬家では斎(とき)の膳といって精進料理を出す。弔問者は家に帰るとき塩ばらいをする。死後の供養は初七日(しょなぬか)できびしい忌が明け,35日か49日で精進おとしになる。そのあと年忌は1・3・7・13・17・23・27・33・49年と続く。23と27をあわせて25にすることもある。33年か49年か50年目かで弔い上げになり,仏が神になるといって以後は供養行事をしない。弔い上げには板塔婆でなく,葉つき塔婆や二股塔婆や角塔婆を建てたりする。

【現代の葬儀】以上はいくらか古風な田園地方の葬式のようすを,土葬・仏式を中心に述べた。都市では衛生上の観点から条例で土葬を禁止するところが多くなった。仏式以外に神式もあり,キリスト教式の葬儀もわずかながらある。近年は宗旨宗派にかかわりなく,“お別れの会”の形式をとるものが漸増している。医師に臨終を告げられたら死水をとる。末期(まつご)の水である。近親の順に脱脂綿などで唇をうるおす。眼を閉じ合掌の形にしてアルコールで体を拭き,鼻・口・肛門に脱脂綿をつめる。北枕に寝せたり枕飯を用意するなどは今も実行する人が多い。死亡診断書,死亡届,火葬許可証,寺への連絡,火葬場の手配など仕事は多いが,かなりの部分は葬儀社で代行してくれる。喪主をきめ,葬儀委員長のような責任者を立てておくと便利である。通夜や葬儀の日時・場所などを決定し,生前に親交のあった人に葉書で死亡通知状を出す。通夜は本来内輪のものであるが,日時の都合のつかない場合,葬儀か通夜のどちらかに出るという人もある。香典はどちらで出してもよい。近しい人たちだけで先に密葬をすませる例もある。故人の社会的な立場や遺族の希望によって,葬儀の規模や弔問者の数はさまざまである。自宅か寺院か斎場かの違いもある。弔問者の多いときは,会社関係・町内関係などと受付を区分する。服装なども“正式”といわれるものがあるが,その場その場に応じて故人や遺族に失礼にあたらない程度でよい。香典の金額についても同様である。仏式では焼香,神式では玉串奉奠,無宗派のときは献花があり,いずれも近親者から弔問者の順で行う。火葬場へは近しい人だけが行くものである。香典返しは49日ごろにするものとされているが,近来は社会的な機関や施設に寄付する人もある。

〔参考文献〕井之口章次『日本の葬式』1977,筑摩書房

井之口章次『葬送墓制研究集成第2巻葬送儀礼』1979,名著出版

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