●総裁政府 そうさいせいふ
ヨーロッパ フランス共和国 AD1795 第一共和政
1795年10月27日に発足し,1799年11月9日,ブリュメール18日のクーデタまで続いた統治組織。五百人会と元老会の二院制議会も含めて呼ぶことがある。1795年8月22日に可決されたテルミドール派憲法の規定により,過去の議員・大臣経験者のなかから両院の選定した5人の総裁が独立した執行権力を与えられた。当初,バラス,カルノー,ルーベル,ルトゥルヌール,ラ=ルヴリエール=レポー,ティボドーでスタート。1796年にはバブーフの陰謀を摘発したが,以後も左右両翼からの攻勢にさらされた。1797年にはバルテルミーのような王党派総裁が出たため,1797年9月4日(実月18日)のクーデタで議員を含めて王党派を排除し,また1798年5月11日には先の選挙で勝利したジャコバン派議員を追放せねばならなかった。このような非常手段に訴えるシェイエス,バラスの共和派に対し,立憲体制の尊重を唱える勢力もあり,財政のびん乱も収拾されなかった。帰国を狙うエミグレとの緊張も持続し,カトリックに優越的地位を認めなかったので立憲派の僧侶にさえ不満を残した。これらに加えて総裁と二院とが一丸となって事にあたる態勢になかったことが不安定性の根本原因である。1799年11月,新総裁シェイエスはエジプトを脱出してきた軍人ナポレオンの力を借りて総裁政府を廃し,同調者と憲法修正の作業を始めた。一方,総裁政府が県庁に附置した中央委員などは,執政制下県知事の先駆とみなされ,執政政府への継続面も指摘できる。