●総合学習 そうごうがくしゅう
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【定義】学習者の全体的・統一的な発達をねらいとし,複数の教師の協力によって,教科の枠組や知識体系にとらわれない学習領域を編成する試み。いいかえれば,従来のように各教科ごとに知識を詰めこむのをやめ,教科の枠を越えて学習者の主体性を重視し,生活や遊びの経験を通して,学習者の意欲を高めようとする試みである。【歴史】総合学習の類似概念であり,かつその起源をなすものに合科教授と合科学習がある。前者は,教科の枠をはずして統合的な教授をめざす教授形態で,オットー(B. Otto)の創始といわれる。合科教授は,20世紀初頭以来,ドイツ各地に普及し,とくに国民学校の低学年で「郷土科」または「郷土的直観教授」として行われた。現在,西ドイツのほとんどの小学校で実施されている。これに対して,わが国では,合科学習すなわち複数の教科を統合し,一つのまとまりとしての学習をめざす教授形態が実施された。1920年(大正9),木下竹次指導のもとで奈良女子高等師範附属小学校において始められた低学年の合科学習が有名である。また,第二次世界大戦中,国民学校でも「国民科」など,学習内容の合科的取り扱いが導入された。戦後初期にわが国でもコア・カリキュラムが試行されたが,合科学習はその実践的・理論的起源として有力であったと考えられる。その後,こうした経験カリキュラムは教科カリキュラムに凌駕され,主要5教科の学力中心時代を迎える。しかし、1970年代後半から日本でも“カリキュラムの人間化”やそれにもとづく“ゆとりの教育”が提唱されるようになり,再び合科的・総合的な視野に立つ総合学習が注目されるようになった。
【研究と実践】総合学習ないしカリキュラムの統合に関する研究は,おもに西ドイツ,イギリス,アメリカで行われてきたが,なかでもイギリスの社会学者バーンスティンの理論が最近注目されている。彼はカリキュラムを分類する視点として,「類別」(教科間の境界の程度)の概念を提示し,類別の強い場合を集合型,弱い場合を統合型と名づけた。統合型カリキュラムはさらに1人の教師のもとで行う場合と複数の教師が協力して行う場合に分けられる。日本の場合,前者は戦前の合科学習,後者が現在の総合学習にあたる場合が多い。バーンスティンは,社会構造の変化と多様化及び学問体系における知識の分化と統合化などの理由により,カリキュラムの構造が集合型から統合型へ変化することを主張した。総合学習の実践的研究には多くのものがあるが,たとえば鹿児島大学附属小学校では,1年と2年の教育課程を「基礎学習」(「算数」,「国語」,「体育」)と「総合学習」(その他の教科・道徳・特別活動)の2領域で編成。これまでに総合学習「冬じたく」(1年),「ゆめの国」(2年)などを実施し,知的教科の成績が低い子供にも意欲をもたせるなどの成果をあげ,保護者からも好評を得た。
【課題】1980年代は,総合学習が公立学校の現場で気軽にしかも計画的に実施され,「ゆとりと充実」の学校教育のメインとなるようにしなければならない。そのためには,研究課題として,[1]総合学習の概念および評価基準の明確化,[2]学際研究の視野に立つ理論枠組の構築,[3]各教科教育学の相互乗り入れによる教材の開発などがある。また,教育実践上の課題として,[1]教師の指導観の統一,指導技術の向上,[2]単なる経験の提示でなく,発見や表現につながるテーマの選択,[3]中等教育段階での実施と学習者および保護者の理解などがあげられる。
〔参考文献〕木原健太郎『総合学習の教育課程化』1977,明治図書
日本教育方法学会編『教育方法12/学級教授論と総合学習の探求』1983,明治図書