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●造形芸術 ぞうけいげいじゅつ

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 造形美術あるいは単に造形,美術ともいう。舞踊や演劇などの表情芸術,音楽といわれる音響芸術,詩,小説,戯曲などの言語芸術と並ぶ広義の芸術の一領域であるが,芸術がそのまま造形芸術を意味することも多い。また,造形芸術を狭義に解し,塑造などの立体,空間芸術に限る場合もある。しかし,一般には広義に,人間の造形活動によって生じた成果全般を意味し,おおよそ視覚芸術と同義に解されている。

【語の成り立ち】“造形”に相当する英語のplasticは,plaster(石膏)と語源が同じで,“形造る・形態を与える・可塑性”を意味する。このことから,plastic artは限定的に塑造などの彫刻・立体造形をさすことがある。一方,ドイツ語の bildende は,Bild(姿・像・形),abbilden(模写する)に由来するため,bildende Kunst は模写,再現による絵画,版画,彫刻などのいわゆる具象芸術のことであったから,今日でもなおこの狭い意味に限定されることもある。それに対して,最近では,英語の plastic に相当するGestaltung をあて,より広く“造形”を把えようとしている。漢語の“造形”は“造型”とも記され,すでに中国宋代に用いられていた。字義に相違はないが,“造型”と記せば文字通り“土でもって型を造る”となり,plasticの意に近い。このごろでは,土を用いることが少なくなったためか,それとも“型”の枠からはみ出そうとする風潮を反映してか,“形”を用いることが多いようである。

 “芸術”は,“藝術”と表記して中国で後漢の時代に技芸・学術を意味し,周代には六芸(礼・楽・射・御・書・数)の総称であった。それが日本にも導入され,江戸時代には遊芸,武芸,大道芸,技芸の意に転じてしまっていたのを,明治初期に西欧の art の概念を取り入れて用いるようになった。なお,“芸”は本来“ウン”と読む別字で“草を刈る”を意味し,“藝”の“種を蒔く,草木を植える”とは対照をなしているところから,本意にそむくという人もいる。

 西欧でもラテン語系の art は,arm(腕)と語源が同じで,古代ギリシアにおいて techne(テクネ=技術)のなかに包括されていたものが,ローマ時代に ars(アルス)と表記されて分岐した語を源としている。もっとも,当時の arsはきわめて広範な意味を含んでいた。ちなみに現代の訳語をあてると,芸術はもちろんのこと,美術・技術・術・才能・熟錬・性質・志向・意義・道・手段・方法・骨(こつ)・技法・策略・商売・職・文芸・知識・原理・学術書・芸術作品・人工など,人間のなす一切の術ということになる。したがって,古代ギリシアの医者ヒポクラテス(前460?〜前375?)のことば,〈Ho bios brakhus,he de techne marka〉をラテン語訳し,〈Ars longa,vita brevis〉と伝えられ,〈芸術は長く,人生は短い〉と解されている箴言も,本義は〈医術の修業には長くかかるのに,人生は短い〉の意であったともいう。中世になると,さらに arsの概念は広がり,現在なら科学と考えられるものまで含まれることになる。その artes liberales(自由学芸)は,七科(文法・論理学・修辞学・算術・幾何・音楽・天文)を含み,中国の六芸に通じている。今日でも,artsが人文科学全般をさすことがあるのは,こうした広い概念を背景にもっているからである。artが,今日的な意味での“芸術”と解されるようになるのは,早くともルネサンス期のことらしい。このころ,artist(芸術家)・artisan(職人・芸術家)という語も現れた。ずっと後のフランスの哲学者クーザン(1792〜1867)が,〈L’art pour l’art=芸術のための芸術〉つまり芸術至上主義を唱えたころには,すでに artは“芸術”として定着していたと考えられる。なお,ゲルマン語系の kunstは,英語の canに相当する konnen(…できる)を語源とし,wissen(知る・知識)に対応して“人工の術”を意味している。

 “美術”は,西欧でも18世紀半ばのフランスで beaux-arts,イギリスで fine arts,後にドイツ語で schone kunstと記して用いられ始めた語を,明治初期に邦訳した新造語である。1872年(明治5)正月,西周(にしあまね,1829〜97)が天皇に『美妙学説』つまり『美学』を講じた際に始めて用いたとされている。また,同年2月,翌年ウィーンで開催の万国博に備えて,時の工部局長大鳥圭介(おおとりけいすけ,1833〜1911)が,〈仮りに,美術の語を用いるが,後の人能く再考すべし〉と附記し,官令にこの語を採ったとも伝えられる。その“美術”には,絵画・彫刻などの造形美術のみならず,音楽・舞踊・演劇,それに詩歌・散文まで含まれていたから,さしずめ今日の広義な“芸術”にあたるだろう。現在では,単に“美術”(fine arts)と記す場合,それを純粋美術(pure arts)と解し,対応して応用美術(applied arts),装飾美術(decorative arts),工芸(craft),そして新しくはデザイン(design)などの用語が用いられている。craft(クラフト)は,ゲルマン語系のkraft(力・効力)が語源であり,デザインはデッサン(dessin=素描)と同じく,ラテン語系の designare(指示する)を語源としている。もっとも,欧米では近年,plasticや bildende,fine,beaux,schoneなどの修飾語を意識的に排して,単に Art,Kunstとのみ記すことで,“造形芸術・美術”を表す傾向が強くなってきた。これは,現代の“造形芸術”が必ずしも plastic や bildende に限定・拘束されるものではなくなり,また19世紀的な“美術”の美意識が崩壊して現状に合わなくなったせいと考えられる。それを受けてわが国でも,“造形芸術・美術”に代わって“芸術”が,さらにはより気軽に片仮名で“アート”と記す風潮も現れている。用語の変化・変遷は,そのまま“造形芸術”の概念の変容を表していよう。

【芸術の特質】芸術とは,いわゆる人間の五感を通じてその心情に訴えるもの,とまず大らかに規定できるであろう。では,その五感を通じて心情に訴えるものは,すべて芸術となりうるのであろうか。たとえば,自然の造形美は,それがいかに人間の心情に感動を与え,芸術的興感を呼びおこそうとも,そのままでは芸術とはいわない。ただし,その自然美を対象として詠じ描いた物,あるいは事は芸術になりうる。すなわち,芸術とは,人間が感じ取ったもの,あるいはことをいったん遮継した上で,人間が吐き出したもの,あるいはことであるといえる。芸術が,人間のなす術,つまり人為の業であるゆえんがここにある。だが,人為は果たしてそうでないものと分明できるのだろうか。人間自体もまた,自然そのものなのではないか。ここに,西欧に発した art の特質の一つがほのみえてくる。人間と自然とを分けへだて,自然のなしたものでない人為の物事を芸術とみなすのである。この意味において,自然と人間とを分別してこなかった東洋人にとって,芸術は西欧新思想の導入だったのである。われわれが,茶・花・盆栽などを“芸”とか“道”と呼んで,大仰に芸術と唱えにくいのは,それらが余りにも自然に頼りすぎ,人為的な制御のおよばない点が多すぎるからなのであろう。では,人為であれば何でも芸術になりうるのであろうか。もちろんそうではないが,芸術と非芸術とのあいだに一線を画すことは,きわめて困難である。最低限,人間(それも自然児である子供ではない成人)のなした事あるいは物とだけはいえよう。つまり,意識してなした行為,あるいはその経過または結果である。さらにつけ加えるなら,芸術は,art の本義に立ち戻って,技術であるともいえる。だが,近代以降の芸術はむしろ,その技術的制約から手を切り,自立しようとしてきた側面があって必ずしも妥当ではない。また,個性表現の主張も,審美性の探求も,今日の多様な芸術的展開の下では,統一的見解とはなりにくい。こう述べると,それでなくとも不確定な芸術は,より一層茫漠模糊となってしまうが,科学や技術による定性的な方法では把えきれない何か(それをリアリティということが多い)を,人間の感性によって探求しつつあるのが芸術であるとゆるやかに定義づけておくよりほかない。

【造形芸術の特性】芸術は大まかに創られた物と成される行為,つまり事とに分けられる。造形芸術は従来,前者とされてきた。その特性が変化したわけではないけれども,近年,この区分を超えた表情や音響・言語などが,造形芸術のなかに取り入れられつつあることをまず指摘しておきたい。たとえば,身体表現などによるパフォーマンス,音響を伴う造形作品,言語を主題としたコンセプチュアルな表示等々の参入である。

 このような動向は,従来,物的・空間的・視覚的とされてきた造形芸術の特質の修正とまではいかなくとも,よりゆるやかな定義を余儀なくさせる。造形芸術をplasticの原意に立ち戻り狭義に解する限りにおいては問題ではないものの,現状に即して広義に解する場合にはさしさわりがおこる。まず第1に,物的とは,言語や音響などの非物質媒体に対して物質的素材のことであったが,今日では,物とはいえない電気による光などの新しい媒体(メディア)が造形芸術に取り入れられるのがふつうになってきているからである。第2に,時間を空間と分離して,造形芸術はすなわち空間芸術であるとしてきた考えにも変動がおこっている。造形芸術にも時間の要素を加えた可変的絵画や動く彫刻・映像などが加わりつつあるからである。第3の,造形芸術は視覚的であるという点に関してだけは,今のところ問題はない。したがって,造形芸術とは視覚的芸術であり,主として物的・空間的芸術であるが,非物質的媒体や時間的要素も排除するものではない,としておくのが妥当であろう。

【造形芸術の諸相】[1]素材と媒体 目にみえないイメージをことばでは表現できても,目にみえない形で造形することはできない。造形芸術は,現実的・物質的・具体的なのである。造形は具体的な物,素材を扱うことによって始まったはずである。だが,その最初の物が何であったかは知るよしもない。草木で編んだ衣や,掻き消えてしまったであろう砂絵や風化し朽ち果ててしまったであろう泥塑や木器もあったろうと推測はされるものの,人間の手になる造形の証は,わずかに稚拙な石器とすみかにしたであろう土の窪みだけしか残されていない。およそ50万年前とも100万年前ともいわれる昔,原始人類が言語と火の使用とともに発明した,生きのびるための道具である。もっとも,道具は必ずしも加工された物とは限らない。初めは,握り具合のよい,鋭い破片など自然の道具が用いられたであろう。これらは,みいだされた道具・発見されたデザインであった。やがて,このみいだされた道具を用いて,道具が加工される。そして,この利器のもつ,用途とは直接関係のないわずかな曲線のうちに,芸術の萠芽・嗜好の選択が認められる。

 その後,これまでの自然採集文化から狩猟・漁労文化へと移行すると,直接の用途をもたない造形芸術への志向がはっきり現れるようになる。獣骨の空洞に詰めた絵の具を吹きつけて印した人の手型,溶いた絵の具を手に塗りつけて描いた線条,そしてきわめて写実的な形態と着色が施された動物画への急速な発展である。着彩は表現の効果ではあっても,直接の用途には必ずしも効果をもたないから,それだけにより自由な人間性の発露となりうる。したがって,これをもって,造形芸術の始原ともされる。そればかりではなく,ここにはいま一つ重要な発見がある。絵の具という物を用いながら,その物性を主張するのではなく,視覚のみに訴える仮象の絵画世界を拓いたことである。

 この造形芸術における非物質化は,後にさまざまな新しい素材,そして物とはいえない媒体(メディア)による表現にまで発展する。存在感の強い石・土・金属・木・獣骨などから,現代の透明プラスチック・鏡面板・光メディアへの移行は,原始絵画に発した視覚的仮象表現の発展ととらえることができるであろう。大まかにいえば,物から発した造形芸術は,非物質的な視覚メディアの傾何に向かいつつある。

 [2]時間と空間 空間芸術ともいわれる造形芸術も,決して時間の概念を排したものではない。彫刻や建築などの立体造形物は,その周囲あるいは内部空間を移動するという体験者側の時間のなかに存在する。つまり,立体物をとり囲み包含される虚の空間こそ,時間を含んでいるのである。その意味では,平面の絵画も前面に観賞者の時間を含んだ空間を拡げている。一方,その動かない固定した作品も,時間の凝固物なのである。たとえば,さきほどの動物画をもう一度とり上げてみよう。もしも,動物の動く様を,ありのままに再現しようとしたならば,描写芸術は決して開花しなかったであろう。動く時間の一瞬を,静止した画面あるいは彫像に固定し接続させるという発明によって,造形芸術は成り立ってきたのである。これは時間の断面表示であり,しかもこの動かない断面のなかに,人々は動勢を盛り込もうと腐心してきた。絵巻物はその断面表示を並べることによって時間の経過を表そうとし,瞬間固定技術である写真が開発されると,まもなく連続した時間の動きが造形芸術に取り入れられるようになる。

 時間の断面表示は,一方で空間の断面化でもある。ことに,西欧でルネサンス期に完成され,アルベルティ(1402〜72)の『絵画論』(1436)において論理的に記述された透視図法は,画布という空間を遮る枠のなかに,固定した単眼でもって透かしみた光景の断面を写しとったものであった。20世紀に入ると,この固定消点をもつ視覚的遠近法に疑問がもたれ,未来派や立体派が動的な空間の導入を提唱し,さらに構成主義者たちが現実の時間と空間が共存する造形芸術を推し進めた。これは,造形芸術が空間的な物の芸術だけでなく,時間的な事をも含むものになりつつあることを示している。

 [3]具象と抽象 造形芸術はその性質上,具体的でなければならないが,その形態からして具象と抽象に類別される。建築や工芸のある種の物は,対象物の再現ではないという意味で,音楽などとともに抽象芸術という。もっとも,一般に具象(再現・描写・写実・形象・模倣,あるいは自然主義・幻影主義などとも呼ばれる)といわれている対象の再現描写も,実は抽象なのである。たとえば,躍動する生身の生き物を,面前に拡がる果てしない光景を,造形芸術において(のみならず,あらゆる芸術において)ありのままに再現・描写することは不可能な事である。そこで,生き物の瞬間の形だけを無機質の物に,変化する広大な光景も空間の断面である画布に時間の断面である瞬間とともに定着し,それとみなしてきた。つまり,現実の一部を抽出・抽象したのである。だが通常は,ヴォーリンガー(1881〜1965)が著した『抽象と感情移入』(1909)にもとづき,カンディンスキーらが推進した現実とは無関係に表出された形や,思考にもとづく純粋な幾何学的形態などを,再現・描写と区別して抽象という。しかし,先に述べた通り,すべからく芸術は抽象であってみれば,こうした区別はおかしい。むしろ造形芸術は,具象・抽象を問わず,イメージの視覚的な具体化であるとでもいうべきであろう。視覚的に提示されたそれは,具象であろうと抽象でなかろうと,それ自体が自立した具体的な現実そのものなのである。

【造形芸術の分野】1648年に設立されたフランスの“王立絵画・彫刻アカデミー”は,文字通り当時の造形芸術の内容を表していた。後に1816年,それが“美術アカデミー”と改称されてもなお,内容には大差がなかった。また,日本で初めて1877年(明治9)に開設された工部美術学校も画学と彫刻から成っていたし,1889年(明治22)に開校された東京美術学校では絵画(日本画)・彫刻(木彫)・美術工芸(金工と漆工)とより成り,きわめて国風を尊重していたものの,後に西洋画が加えられる。いずれにしても,19世紀末あるいは20世紀初めまでは,造形芸術の分野を規定することは比較的容易であった。だが,今日,欧米においても日本においても,美術・造形大学の教科内容は多岐多様であり,また同じ名称であっても内容が異なったり,その逆もあってバラエティーに富んでいる。保守的とも思える教育機関においてすらこんな具合だから,実際活動の現況を把握し分類することは困難である。ここでは一応,従来の分類をふまえながら,新しい動向も適宜加えておく。

 [1]絵画 造形芸術のなかでも,絵画は最も自由な表現形式である。おもに平面上に色彩をもって,仮象の視覚的世界を描き出すもので,およそ視覚的に表現できる限りは,あらゆる事物・現象を扱うことができる。描くと塗るの基本技術から成り,その素材・技法・対象によって分類される。西欧において16,17世紀に完成された油絵は,明暗の変化が容易で制作が比較的迅速なため,それまで用いられてきたテンペラ画を駆逐して,近代絵画の隆盛をもたらした。さらに近年は,より速乾性のアクリル樹脂系絵の具も用いられている。ほかに水彩画,東洋独特の水墨画,西欧のフレスコ画などがあり,複雑技法による版画も銅版,石版,木版など版材によって分類される。

 [2]彫刻 彫り刻む文字通りの彫刻に塑造も加えて,彫塑ともいう。素材の安定性,重量,実在性,制作の困難さの制約のために,表現対象が絵画よりははるかに限られるが,逆に屋外設置などの利点もある。西洋では大理石が多用され,日本では木彫が古くから制作された。用材の名をそのまま種類とするが,丸彫・浮彫など表現形式で呼ぶこともある。

 [3]オブジェ 今世紀に入って造形芸術は,その表現内容が変化したばかりでなく,絵画とか彫刻という形式そのものが変質し始めた。アルキペンコは,「彫刻絵画」「絵画彫刻」といった作品をつくり,ピカソは絵画に印刷物を貼り付け,コルダーは動く彫刻というモビールを発明し,デュシャンは既製品をそのまま展示し,ゴンザレスは鉄板を溶接した構成物をつくるといった具合である。さらに,島全体を布で覆ったり,からっぽの画廊をそのまま展示したりと,際限なく試みはくり広げられている。オブジェとは,物体・対象という意味であり,人工の物ばかりではなく拾われた自然物も含まれる。

 [4]書 墨でもって紙に文字を記す書は,東洋の漢字語圏において独特な発達をした。本来,読まれる文字が,可読性を離れ実用から遊離して,純粋に視覚的な造形となりつつある。もちろん文字には,その構造・筆順などにもとづく制約はあるのだが,なかにはそれを超えて墨象としてみようとする傾向もある。いずれにしても,おもに白黒の形象でありながら,その単純化されたなかに,作者自身の人格・品格をみいだそうとするきわめて東洋的精神に支えられているのが特色であろう。

 [5]工芸 本来,実用を備えた装飾的道具であった物が,今日では鑑賞性が強調され美術品化しつつある。日本伝統の漆工・金工・木工・窯芸・織物・染色など装身具から家具・調度品にいたるまで多種多様で,本来は手工による一品制作を主としていたが工業化・量産化される物も多い。なお,合成樹脂などの新素材を取り入れたり,材質を生かしたより近代的な工芸をクラフトと呼んだりもするが,その区別は定かでない。

 [6]建築 造形作品の多くがおもにその外観を観賞対象とするのに対し,建築は内部をもつ実用空間芸術であって,設備・装置を備えている点で特異である。また,人間のなす最大規模の造形であり,しかもその内外装をも含めてそこにあらゆる造形芸術を包含するところから,建築は造形芸術の母あるいは総合芸術といわれたりする。建築は,その用途・建材・形式・構法・様式等々によって分類され,それに付随する庭園・外周さらに広げて町並みや都市まで含めて環境・景観などともいい,広い意味での建築に包含することもある。

 [7]デザイン このことばが近代の工業化の過程から普及したことからもわかるように,デザインは主として量産体制における公衆のための造形活動である。用途・機能の合目的性,商品としての経済性,大衆の嗜好,量産のための技術的制約のなかで,いかに効率よく,よい製品を生み出すかを課題としている。したがって,その領域は,口紅から人工衛星にいたるまでと幅広い。人間をとり囲むあらゆる事物がデザインの対象であり,個人的表現よりは衆知を集めた造形芸術である。

 [8]写真・映像 光の陰影を化学的に写し撮る写真は,記録として重用されるが,同時に視覚的効果として造形芸術とみなされる。撮影,現像,印画の段階で種々の試みがなされ,さらに写真の動画である映画,ビデオなど,ニューメディアが登場し,新しい芸術表現の可能性が開拓されつつある。

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