●雑芸 ぞうげい
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種々雑多な芸能で,雑伎(ざつぎ),雑技,雑戯(ぞうぎ)ともいう。もともとは〈咸康七年(注・341年)冬,除楽府雑技〉(『晋書成帝紀』)のように,古代中国からあった。唐代には西域物も加えて発達し,奈良時代に日本へ渡来する。具体的には〈養老元年(注・717年)九月,諸国司等詣行在所,奏風俗之雑伎〉(『続日本紀』),〈凡学生在学,不得作楽……及雑戯,唯弾琴習射不禁〉(『令義解』)と,公許の性格をもつが,学生には禁じられていた。10世紀半ばの『和名抄』によれば,雑芸類四十四として投壺,蔵鈎・打毬・蹴鞠・競渡・競馬・鞦韆(注・ブランコ)・囲碁・弾碁・樗蒲・双六・弄槍・弄丸・相撲・相扠・擲倒・闘鶏・闘草などを挙げる。趣味娯楽・野外ゲーム・大道芸・賭けごと・奇術・アクロバットを含んでいた。一方で〈渾脱はもと雑伎にして,即散楽なり〉(『歌ブ※注1※品目』)で,散楽(さんがく)と同義語になってくる。平安時代にいたって,散楽と合流,即興的滑稽物真似も加わるのである。中国で雅楽に対する俗芸として発達する散楽は,やはり奈良時代に渡来した。雅楽寮に散楽師がおかれ,養成所の散楽戸(さんがっこ)も設置されている。782年(延暦1)に廃止されてから民間に流布する。百戯,乱舞(らっぷ),俳優(わざおぎ)とも呼ばれた。11世紀半ばの『新猿楽記』の猿楽会に,咒師(のろんし),侏儒舞(ひきとまい),田楽,傀儡子(くぐつ),唐術,品王,輪鼓(りゅうご),無骨有骨延動,蝦漉舎人之足仕(えびすきとねりのあしつかい),千秋万歳之酒祷(せんずまんざいのさかほがい),京童之虚左礼(きょうわらわのそらざれ)などの曲名であった。
上の引用に京童のそらざれがある。京童の性格からして風刺を伴った話芸であったろう。散楽の物真似性から,猿楽と訛称されるようになったのは平安時代だった。雑芸と散楽融合のあと,平安後期に分裂が起きる。猿楽は雑芸を守っていくが,雑芸という名称は院政期の流行歌謡,つまり広義の今様に変化してゆく。『御堂関白記』の1010年(寛弘7)7月28日頃に,〈乱声各一度,失歟。可有三度也。各三曲,是入夜キュウ※注2※也。雑芸如常〉とあって,風俗化の姿がわかる。以降,雑芸の語はあまり用いられず,今様の語に代わる。
1111年(天水2)以前成立の『傀儡手記』では催馬楽・風俗と並んで,今様・古川様・足柄・片下・黒鳥子・田歌・神歌・掉歌・辻歌・満固が載る。1171年(承安1)の『梁塵秘抄口伝集』巻10では今様・只の今様・四季の今様・沙羅林・早歌・大曲・足柄・長哥・田歌・法文・伊地古・旧古柳・古柳・滝水・黒鳥子・こひせはら・高砂など。14世紀半ばの『拾芥抄』になれば今様・古柳・東遊び・朗詠・田歌・沙羅林・早歌・片下・物様と豊かな中世歌謡群を紹介し,庶民の愛好を伝える。
それでもまだ雑芸の誌は,かすかに余命を保っていた。前掲の『梁塵秘抄』四句神哥雑に,〈遊女(あそび)の好むもの,雑芸,鼓,小端舟〉とあり,遊び女・くぐつ・巫女ら神の女たちによってひろめられたことだろう。多くは扇拍子・鼓・銅拍子をつれひき,時には和琴(わごん)・琵琶・笛を伴奏にした。歌謡に化した雑芸については,〈我ひとり雑芸集をひろげて,四季の今様,法文,早歌(そうか)に至るまで,書きたる次第を謡ひ尽くす折もありき〉(『梁塵秘抄口伝集』),〈今様をばいしくも歌ふたる者哉。此の歌は雑芸集といふ文に書かれたるは〉(『源平盛衰記』巻17)と,13世紀まで『雑芸集』が在在したが,いまは伝えられていない。その一部は『梁塵秘抄』でしのぶほかはない。
中世歌謡は近世の小歌につづいていくが,本来の雑芸は近世の考証本に詳しく載っており,門付け芸や見世物として花ひらく。『只今御笑草』,『守貞漫稿』,『嬉遊笑覧』,『摂津名所図会大成』,『人倫訓蒙図彙』,『柳亭筆記』,『塵塚談』,『絵本御伽鏡』などに,江戸期の娯楽芸能が書きとめられてある。
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