●宋教仁 そうきょうじん
アジア 中華人民共和国 AD1883 清
1883〜1913(光緒9〜民国2)中国の清朝末期から中華民国初期の革命運動家・政治家。字は遯初。号は漁父。湖南省桃源県生まれ。1903年(光緒29)湖北省の武昌文普通学堂で学び革命思想をいだく。湖南省長沙で組織された革命団体華興会に加入したのち,長沙での蜂起に失敗して日本に渡り早稲田大学などで学び,1905年中国同盟会の結成に参加した。1910年(宣統2),上海で『民立報』によって革命宣伝を行い,翌年,同盟会中部総会を譚人鳳らと組織して長江流域での革命運動に従事。辛亥革命後,1912年(民国1)には南京臨時政府の法政院院長となり,さらに袁世凱の権力掌握下で唐紹儀内閣の農村総長をつとめたのち辞任し,孫文を理事長とする国民党を成立させ,事実上の党首として活動する。第1回国会選挙における国民党の勝利に貢献し,民主的議会政治確立をめざしたが,1913年,上海で袁の刺客に暗殺され第二革命のきっかけとなった。著書に,豆満江下流間島の帰属問題を扱った『間島問題』,日記『我之歴史』がある。