●僧祇戸 そうぎこ
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中国北魏時代の制度。太武帝の廃仏の後,仏教教団は却って急速な膨張発展をした。それは仏教復興時の沙門統(宗教行政を掌る役所・僧曹=昭文曹の長官)曇曜によって創められたこの制度と,同じく曇曜による仏図所の制度が,経済的基礎を提供したからである。北魏は華北を平定するあいだ,たびたび占領地の人々を都の近辺に強制移住させたが,その一つに山東地方の人々を含む平斉郡があった。その平斉郡戸を僧曹の監督下に置き,僧祇戸と称したのが最初である。僧祇戸は毎年粟60石を僧曹に納めた。その粟を僧祇粟という。貯蔵された僧祇粟は元来,凶年時の饑民救済や平年時の貧民への融資に用いるものとされ,社会事業的な制度であったが,僧祇戸が北魏国内の州郡に拡大していくにつれ,教団の経済的実力の増大と相俟って,しだいに僧官や地方豪族の私欲追求の手段ともなり多くの弊害を生じた。この制度は北魏の滅亡とともに衰えていった。