●ソヴィエト=ポーランド戦争 ソヴィエト=ポーランドせんそう
NIS諸国 ロシア連邦 AD1939
第二次世界大戦の初期,1939年9月17日,ソ連軍がポーランドに侵入したことでおこった戦争。【ポーランドの国内体制】混乱の続いていたポーランドでは1937年2月に,国民統一体制がとられたが,左右からの反対が強く,その指導者であったコッツは1938年1月に職を追われ,国民的統一は失敗した。1937年8月には農民ストライキが,1931年に結成された農民党の主導下に行われ,1938年6月には議会が解散され,同年11月に総選挙が実施されたが,政情は安定しなかった。
【ドイツの侵入】1939年3月,チェコスロヴァキアを解体したドイツは,ミュンヘン協定の席上で,「これがヨーロッパにおける最後の領土要求である」といっていたにもかかわらず,1939年8月,ダンチヒ(グダニスク)のナチス指導者フォルスターの煽動が開始され,ドイツは10月にいたって,ダンチヒのドイツヘの編入とポーランド回廊を横断して,ドイツとダンチヒを結ぶ自動車道路の建設をポーランドに要求してきた。9月1日,ドイツ軍がポーランドに侵入してきて,第二次世界大戦が開始された。ドイツ軍は機械化され,空軍に支援された170万人であった。
【ソ連の侵入】東プロイセン,シュレジェン,スロヴァキアから進撃したドイツ軍は,近代化の遅れたポーランド軍を圧倒し,ポーランド政府は9月7日に,首都ワルシャワを撤退しなければならなかったほどである。この速度がソ連に不安を与えることになり,9月17日,ソ連軍はポーランド東国境から侵入を開始した。両軍事大国の攻撃に対抗する手段をもたないポーランドは,2日後に,ブレスト=リトウスク付近での両軍の接合を許し,政府はルーマニアにのがれた。ワルシャワは陥落し,4週間足らずで電撃戦は終了した。
【占領】ドイツとソ連は9月28日の協定によって,たがいにその勢力範囲を定めた。ドイツがダンチヒと32,000平方マイルの地を東プロイセンとシュレジェンのあいだに得,全体では72,866平方マイルの地を加えたのに対し,ソ連は77,620平方マイルの領土をポーランド東部で得た。
これを機に第二次世界大戦が開始されたが,ソ連の態度に怒ったヒトラーが,後に独ソ戦争を開始する原因にもなった。