●宣命 せんみょう
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天皇の言葉綸言を宣り伝えることで,転じて綸言そのものをさすようになった。平安時代には漢文体で記された綸言を詔書・勅書といい,国文体で記されたものを宣命といった(『西宮記』)。国文体ではあるが語句はすべて漢字の音訓を借りて表記され,語尾や助詞などは漢字を万葉仮名として使用し小字で記され,宣命書とよばれる体裁をとる。仮名が使用されなかった時代に工夫された表記法であるが,仮名を使用する時代にもこの体裁は守られた。記紀にはみえず,『続日本紀』には697年(文武1)の文武天皇即位の宣命をはじめとする62篇をのせている。宣命は697年にできたものではなくこれ以前にもあったはずであるが,『日本書紀』の編者が漢文体に書き直したものとみられる。日本後紀以下の国史にもみえるが,古語が少なくなり漢文脈をまじえ類型化していく。結局,続日本紀にみえる宣命が撥刺として生気にみちた宣命の代表といえるので,この続紀宣命の研究が本居宣長(『歴朝詔詞解』)以後深められている。続紀宣命は,即位,立后,立太子,譲位,改元,大仏造立,反逆事件などのさいに下されたが,平安時代以後は即位,立后,立太子,任大臣,神社山陵への告文などの場合に限られた。宣命は神仏や個人にも下されるが,一般に百官国民に下されるからその言辞をよくえらぶ必要があり,これを起草する中務省の内記は,学才に富み文筆に秀でた人がえらばれた(『職原抄』)。宣命を読む宣命使(宣命大夫)は参議以上の適任者であるが(『貞観儀式』),適任者とは宣命に一定の抑揚をつけて読む技術をもつ人のことであった(『三代実録』仲野親王薨伝)。宣命を書く用紙は一般に黄麻紙が使われたが,伊勢神宮へは縹紙が,賀茂社へは紅紙が使われた(延喜中務省式)。宣命は江戸時代まで行われたが,1873年(明治6)宣命の名称が廃され,天皇親祭のときのものを告文,勅使の奏するものを祭文としたが,名称の変更のみで宣命形式は変わらなかつた。〔参考文献〕金子武雄『続日本紀宣命講』1941,東京出版。