●千利休 せんのりきゅう
アジア 日本 AD1522 室町時代
1522〜91(大永1〜天正19)戦国・安土桃山時代の茶人で,茶道の大成者として著名である。堺の魚問屋田中与兵衛の長男として生まれ,与四郎と称した。家名の「千」は足利義政・義尚に同朋(近侍役)として仕えた祖父の田中千阿弥(せんなみ)からとったとされる。幼少のころから茶湯を好み,武野紹鴎らに学び,また堺南宗寺,大徳寺において大林・笑嶺・古溪の3和尚に参禅し,和敬清寂の侘び茶の世界に到達した。初めは織田信長に,続いて豊臣秀吉に仕え,秀吉には知行3千石を与えられ,さらに居士号を得た。茶事の改革に心を砕き,日本の生活文化のなかに茶道芸術として位置づけた意義は大きい。秀吉が関白となってからは,天下一の茶湯者と評され,大名から僧侶・町人にいたるまで門下に加わった。政治や外交問題にも参画するなど隠然たる勢力を誇ったが,大徳寺の山門上に寄進した金毛閣(きんもうかく)に自像を安置したことや,自作の茶道具を高価で売ったことなどを口実に,秀吉に処罰され,切腹した。利休の茶道は,子孫である千家によって代々受け継がれ,本流には表千家(不審庵),裏千家(今日庵),武者小路千家(官休庵)の3系統があり,傍系はすこぶる多い。〔参考文献〕桑田忠親『千利休』吉川弘文館