●1791年憲法 せんななひゃくきゅうじゅういちねんけんぽう
ヨーロッパ フランス共和国 AD
フィヤン派憲法ともいい,フランス革命での最初の憲法。国民議会は1789年7月9日から憲法の作成作業に入ったが,8月26日に人権宣言を切り離して公布した。8月31日より,一院制か二院制か,また国王拒否権が審議され,途中,国王のヴァレンヌ逃亡事件で動揺もあったが,バルナーヴ,ラメット,デュポールの三頭派やシェイエス,ル=シャプリエなどを中心に作成され,1791年9月3日に最終的に採択,14日に国王により裁可された。全7篇351カ条よりなり,市民権の規定(第1篇),王国の県,ディストリクト,郡,市町村への区分と市民たる要件(第2篇),立法権・執行権の公権力(第3篇)などが規定されている。全体として,国民主権に立つブルジョワ立憲君主制で,男子成年市民の6割強に選挙権を与える制限選挙制をとり,一院制,国王には停止的拒否権を与えることにより立法・執行両権力の均衡をめざしている。ほかに,司法組織や,パリ市組織法,封建諸説の買戻しに関する法令なども憲法体制を支えるものとして重要。1791年5〜7月,拒否権の発動でこじれ,パリ市民,連盟兵の憤慨を買い,8月10日(テュルリー宮襲撃)事件で憲法体制はとどめを刺された。