●煎茶法 せんちゃほう
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立春から数えて八十八夜ごろに摘んだ,一番茶を湯蒸してから,手揉を加え乾燥したものが煎茶である。茶樹を栽培の過程で覆いを施して,柔軟な葉を作り,これを原料とするのが,玉露である。また二番茶の堅い葉や茎を入れたものが番茶で,これを強火で焙(ほう)じると,焙じ茶となる。煎茶法は中国明代の製法であるが,これが輸入され,その服用が日常化する過程で,宇治の製茶師,永谷宗円(1681〜1778)によって,湯蒸しのあと焙炉の上で手揉を加えながら,乾燥させて仕上げる製法が考案され,製茶法は著しく進歩した。これと時を同じくして,佐賀蓮池の鍋島藩士,柴山杢之進の次男に生まれ,黄檗宗の僧となった,売茶翁高遊外(1675〜1763)の存在が,わが国の煎茶文化を成立されることになった。売茶翁は11歳で郷里の竜津寺化霖の門に入り,長崎で清人から煎茶法を学んだといわれているが,師に伴われて黄檗山に赴き四世独甚(中国興化の人)にも謁しているから,煎茶と万福寺との関連も頷かれる。57歳ごろ佐賀の寺を出て,京都の佳勝の地に通仙亭と称する茶屋を設け,行客に煎茶を売ったが,これは彼の批判精神の発露であった。そののち,実際家として,花月庵鶴翁,小川可進が出,これに上田秋成,田能村竹田らの文化人の参加があって,煎茶法は中国趣味の濃厚な喫茶文化として確立する。さらに,明治初年にいたって,玉露茶の製整をみて,煎茶の味覚は増進された。〔参考文献〕長谷川瀟々居『煎茶志』1984,平凡社(再版)
楢林忠男『煎茶の世界』1971,徳間書店