●禅宗文化 ぜんしゅうぶんか
AD
略して禅文化ともいう。禅宗の歴史とともに禅僧によって形成され,発展した独特の文化群であるが,その文化の花咲く根本においては“禅体験”がなくてはならない。その意味では“禅文化”と呼ぶほうがふさわしい。禅宗は大乗仏教の一派であるが,坐禅を修行して心を清澄無心ならしめ,その無心の心からほとばしり出る創造的知慧(これを般若という)によって,“無作の作”あるいは“無用の用”を行っていくことを最高の生き方とするのである。そういう意味からいえば,禅僧の生活がそのまま禅文化でなくてはならないはずである。【禅宗文化の特異性】したがって禅宗文化は生活の領域全般にわたっており,単に宗教的芸術とか美的観賞の対象以上の性格を有している。すなわち禅僧の生活の衣・食・住における禅的心境の表現,あるいは修行上の効果がこの文化を特色あるものとしているのである。したがって,この文化は生活を豊かに飾るための装飾文化ではなく,できうる限り無用性を省略し,直截簡明を旨とした佗びの文化である。この文化は生活に密着したものであり,その種類からみても宗教,哲学,倫理,作法,諸芸,文学,書画,建築,造庭,工芸などきわめて広範囲にわたっており,のちにみるようにそれらには,全体的に共通した特色がみられるのである。
【禅宗文化の成立基盤】禅文化の創造者は禅僧であるが,禅僧はどのような精神性をもっているのであろうか。鈴木大拙(1870〜1960・明治3〜昭和41)はその著『禅と日本文化』において禅僧の好む生活の雰囲気について,〈[1]精神に焦点を置き形式を無視する。[2]すなわち,どのような種類の形式の中にも精神をさぐりあてる。[3]形式の不充分,不完全によって,いっそうよく精神が表われるとみる。[4]形式主義・慣例主義・儀礼主義を否定する結果,精神が丸出しとなり,孤絶性・孤独性に還る。[5]孤高・孤絶は清貧・禁欲の精神であり,それは不必要なものを少しも留めない。[6]孤絶はまた“執着しない”精神である。[7]孤絶を“絶対的なもの”というならば,それは森羅万象のすべてに存在している〉というように説明している。さらに鈴木はこのような禅僧の好みが禅宗文化として発展し,日本文化のなかに定着していった背景として,〈鎌倉・室町時代に,禅院が少なくとも学問芸術の貯蔵庫になっていたこと。禅僧が終始,外国文化と接触する機会をもったこと。一般の人々,とくに貴族は禅僧を教養ある人として尊んだこと。禅僧それ自身芸術家であり,学者であり,神秘思想家であったこと。彼らが幕府の奨励によって外交に従事し中国の芸術品・工芸品をわが国にもたらせたこと,わが国の支配者階級が禅僧のパトロンであり,自ら禅の修行に励んだこと〉などをあげている。
【禅宗文化の一般的性格】先に述べた禅僧の趣好というものは,禅僧の宗教体験からにじみ出るものであって,その文化のもつ共通の性格が,禅的精神の直接的表現であることはいうまでもない。久松真一(1889〜1980・明治22〜昭和55)によれば,禅宗文化の七つの性格とその基礎となっている禅の精神性との関係は次のとおりである。[1]“不均斉”完全性に捕えられずにこれを越えて破るところの型で,禅の“無法の法”にもとづく。[2]“簡素”複雑とか精細にみられない高度の素朴あるいは単純であり,禅の“純一無雑”にもとづく。[3]“枯高(ここう)”未熟さや弱さがすり切れ,骨髄と芯だけになったものの遒勁で冒し難い威厳であり,禅の“孤危峭峻”にもとづく。[4]“自然”わざとらしさのなさ,無理のなさであり,禅の“無心”にもとづく。[5]“幽玄”外にあらわれない含蓄・余韻を内にもつ奥ゆかしさであり,禅の“無一物中無尽蔵”にもとづく。[6]“脱俗”現実界のみならず仏にさえ拘われない洒脱さであり,禅の“独脱無依”にもとづく。[7]“静寂”さわがしくないことであり,禅の語黙動静体安然にもとづく。もちろんこれらの性格が禅宗文化の“規範”として固定するならば,それはもはや禅文化ではなく単に文化となった禅でしかないであろう。
〈参考文献〉鈴木大拙著『禅と日本文化』岩波新書R20,1982,岩波書店
久松真一著『禅と芸術』「久松真一著作集5」1970,理想社