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●選挙法改正 せんきょほうかいせい

ヨーロッパ 英国 AD 

 1832年以来イギリスでなされてきた選挙法の改正とそのための働きをさす。

第1回選挙法改正】イギリスの選挙制度は15世紀以来基本的にはほとんど変わらず,したがってとくに産業革命の展開にともなって,それはきわめて不合理なものになった。新興の産業ブルジョワジーと労働者階級には選挙権資格は付与されず,また人口の大幅な移動の結果,新興工業都市はまったく議員を選出できないのに,多くのバラ選挙区は寒村になりながらも議員選出の資格を保持し,しかもなかには,その資格を保持するために,数軒の人家が残されているにすぎないものもあった(腐敗選挙区)。したがって選挙法改正運動が展開されるようになるのは当然のことで,とくに選挙法を改正させるうえで直接的に大きな力となった運動は,1815年から産業ブルジョワジーと労働者階級の同盟を基礎に展開されることになった。そしてついに1830年選挙法改正を政策の第1目標に掲げるウィッグのグレー内閣が成立,翌年提案された改正法案は1票差ながら,下院で可決されるにいたった。だがグレーは上院での否決を見越して,議会を解散,そのころまでに運動は全国政治同盟を中心に,きわめて急進的な様相を呈し,新議会に再提案された法案は圧倒的多数で可決された。しかしそれが上院で否決されると,グレーは国王に貴族叙任権の発動を要請,拒否されて辞職,代わって内閣を組織しようとしたウェリントン公は運動の急進化のもとでそれに失敗し,再びグレーが内閣を組織,国王も貴族叙任権の発動に同意することになり,こうして1832年,法案は上院を通過・成立することになった。これにより,バラ選挙区中56は廃止,32は2議席を1に削減され,こうして生じた143議席は主としてカウンティに配分され,またカウンティでは年価値10ポンド以上の自由・謄本土地保有者と,年50ポンド以上の地代を払う借地人に,バラでは年価値10ボンド以上の家賃を払う者に選挙権資格が付与された。その結果,おもに産業ブルジョワジーに選挙権が拡大されることになった。

【第2決選挙法改正】上記の改革で選挙権資格を付与されることのなかった労働者階級は,独自にチャーティスト運動を展開,その消滅以後もひきつづき選挙改革の運動を行ったが,それはとくに1865年以降,労働者階級によって組織された全国議会改革連盟と,ブルジョワ急進主義者に指導された全国議会改革同盟を中心に全国的に盛りあがり,1866年自由党ラッセル内閣により改正案が提案される運びとなった。しかしそれは党内右派の反対にあって流産,代わって登場した保守党ダービー内閣のもとで,ディズレイリの強力な指導により,1867年再度選挙法改正がなされるにいたった。これにより,11の選挙区が廃止,38の選挙区が議員数を1に削減され,新興都市・大学・人口急増のカウンティに議席が配分され,同時にカウンティでは年10ポンドの地代を払う定期借地農謄本土地保有者に,バラでは1年以上にわたる住宅の占有者たる戸主と1年以上にわたって年価値10ポンド以上の貸間に居住している者に選挙権資格が与えられ,都市の労働者にも選挙権が拡大されることになった。

【第3次選挙法改正とそれ以後の改革】1884〜85年には,グラッドストーンによって三たび改正がなされ,これにより選挙区は原則として議員定数1名の小選挙区とされ,選挙権資格に関しては1867年のバラにかかわる規定がカウンティにも適用され,農業労働者にも選挙権が拡大されることになった。その後1918年には,婦人参政権運動を背景に,人民代表法が制定され,21歳以上の成年男子と30歳以上の婦人に選挙権資格が付与され,さらに1928年の人民代表法によって21歳以上の婦人にも選挙権が拡大された。そして1948年の人民代表法の制定によって最終的に,男女平等普通選挙制度が成立することになった。

〔参考文献〕横越英一『近代政党史研究』1960,勁草書房

五十川武雄『十九世紀英国選挙法改革の研究』1968,雄渾社