●選挙侯 せんきょこう
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD
中世のドイツにおいて皇帝(国王)選出権をもった諸侯をさし,選帝侯ともいう。カロリング朝の断絶(911)により,ドイツでは全諸侯を有権者とする選挙王制がしかれたが,それもオットー1世のローマ皇帝戴冠(962)以後は,事実上世襲制となっていった。しかし,聖職叙任権闘争のころから再び選挙制の観念が強まり,ハインリヒ6世の死後には二重選挙(1198)が実施された。さらに,シュタウフェン朝の断絶(1254)により選挙王制は決定的となったが,同時にその選挙権も一部有力諸侯に限定されることになった。13世紀の末までに,マインツ・トリアー・ケルンの3大司教とラインのファルツ伯・ザクセン公・ブランデンブルク辺境伯・ベーメン王の4世俗諸侯が確定し,彼らは7大選挙侯と称された。この慣行的制度を法的に確立・整備したのがカール4世の金印勅書(1356)である。これにより,選挙侯は完全な裁判権のほか,貨幣鋳造権・鉱業権・関税権・ユダヤ人保護権などの特権を認められ,領地不分割と長子相続制の規定とも相伴って,しだいに領邦君主化することになった。17世紀になると,バイエルン公やブラウンシュバイク=ハノーヴァー公が加えられるなど,7選挙侯制はくずれていき,1806年の神聖ローマ帝国解体により,その意味は完全に失われた。