●銭座 ぜにざ
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江戸時代に銭貨を鋳造した所。鋳銭座ともいい,金座・銀座のように常設機関ではなかったが,認許を受けた請負人が運上を納めて鋳造し,法定価格で発行した。1636年(寛永13)銀座年寄秋田宗古に監督させ,鳴海兵庫を頭本人として江戸芝および近江坂本において,寛永通宝を鋳造させたのが最初である。そののち京都・駿河・大坂ほか各地に設けられた。元禄年間(1688〜1703)から伊予の立川銅山を幕府より受けて経営した菱屋五兵衛・長崎屋忠七らは,京都銭座の請負人であった。18世紀の中期には金銀貨の質が劣悪になって銭価が騰貴したため,幕府は銭座を増設して銭貨の発行額を増やしたが,のち逆に下落したので,その後は減少に努め,1745年(延享2)には一時銭座を停止するほどであった。1765年(明和2)金座改役後藤庄三郎に命じて江戸の亀井村に鋳銭定座を設け,以後銭座の新設は認められなくなった。したがって明和以後鋳造の寛永通宝や天保通宝は定座の所鋳であるが,幕末は私設の鋳造も行われた。
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