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●節度使 せつどし

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国の唐・五代に置かれた藩鎮の総指揮者あるいは長官。唐の初め,律令体制下の兵制(府兵制)では農民から徴発された兵(府兵)が長安や洛陽の警備と辺境防衛とをになっていた。このうち辺境防衛は府兵が防人として三年交替で鎮・戌と呼ばれる辺境部隊に勤務することで成り立っていた。しかし7世紀後半になると中国周辺の国家・民族の隆盛によってそれまでの辺防体制が不安となってきた。これに代わって710年(景雲1)河西節度使が最初に置かれると,以後こうした節度使が順次に設置され辺境10節度使の成立をみた。安史の乱(755〜763,聖武1・唐暦天宝14〜順天4・広徳1)がおこると,中国内地にも設置され,軍事権力のほかに民政・財政の権力をも掌握して強大な勢力を形成し,自立傾向を強める節度使も出現した。しかし,節度使を根底で支えていたのは牙中軍牙軍)であり,この牙中軍の兵士が世襲によって結束を固めてくると,節度使といえどもときには追放されたり殺害されたりする場合もあった。五代をへて宋代になると,文臣官僚体制の整備に伴い武人としての節度使は急速に実権を失い,単なる武官の名称にしかすぎなくなった。

〔参考文献〕日野開三郎『東洋史学論集』1,1980,三一書房