●絶対主義 ぜったいしゅぎ
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15世紀末から18世紀後半にわたる中世封建国家から近代市民国家への過渡期における西欧で行われた政治形態もしくは権力形態のことであり,絶対王政・絶対君主制とも呼ばれる。例としてはフェリぺ2世治下のスペイン,テューダー・ステュアート朝治下のイギリス(ヘンリ8世・エリザベス1世の統治もその例からもれない),ブルボン朝治下のフランス(〈朕は国家なり〉といったルイ14世が典型),フリードリヒ大王の治めたプロシアなどがあげられる。【三つの見解】絶対主義の性格ないし本質をめぐって三様の説明がなされている。[1]制度史家のあいだで有力な考え方であり封建貴族との抗争を通じ封建的な権力秩序を克服することによって成立するのが絶対主義であるからそれは封建的であるはずがない。その権力の集中性・公共性を認識し評価すべきであり最初の近代国家がここに形成されたと考える。[2]マルクス主義者に多いが“封建国家説”とも呼ばれるべき見解である。たとえばリシュリュー・マザランが権力を振るったフランス王政はそのときにおこった民衆の反乱を抑圧する態度をとっており,それから推測すると絶対主義の実体は封建的と規定されるよりほかない。また商人資本と商業ブルジョワジーの台頭が認められるけれども,それらはいまだ封建制に寄生した存在であった。基本的生産関係は封建的であり,その上に立脚する国家は本質において封建国家にほかならなかった。[3]上述の[1]および[2]の中間にある考え方であり,過渡期における特殊な権力形態として理解される。エンゲルスに始まりカウツキーによって定式化された。すなわち台頭しつつあるブルジョワジーの勢力と衰退しつつある貴族のそれとの均衡状態に照応して成立したのが絶対主義権力である。したがってそれは相対立する両階級のあいだに存在する調停者的役割を担う権力であり,国家は必ず支配階級のものであるとの立場からすれば絶対主義国家は例外をなす国家であった。このような主張が“階級均衡論”である。
【権力機構】上述のごとき見解の相違があるにしても,中世では封建領主中の勢力ある者の一人にすぎなかった君主が諸侯の勢力減退に乗じ,また台頭しつつある有力市民の財的支援を得て国の集権化を推進し絶対的な君主権の実現に成功したとみることはけっして誤っていない。そして君主の何ものによっても拘束され制限されることのない支配を正当化する政治理論として“王権神授説”が主張されたのである。しかし君主は権力の行使にさいして補佐の任に当たる機構を必要とした。[1]官僚群。官僚(役人)の使命は君主に奉仕することであり,君主と同様に人民の上に立ち,人民に奉仕する公僕ではなかった。貴族もしくは市民の出身である彼ら自身が特権的身分をつくっていた。専門的知識と技能を保有しその活用をもって職務を全うし国庫から俸給を支給された。その意味では今日における官公吏の前身をなすものといえる。ただしイギリスで君主の手足となって働く任務を帯びた治安判事は無給であった。[2]常備軍。官僚群と並んで絶対君主により必要不可欠とされたものである。絶対的支配を根底において支える力であり,国内における反抗を抑え侵入してくる外敵を防ぎ,対外遠征を行って君主の威光を輝かした。絶対主義下では徴兵制がいまだ行われず主力を構成するものは傭兵であった。軍隊のなかにも身分的な階層制が浸透し上層に位置するものには貴族出身者が多かった。なお付言すればイギリスの君主には近衛兵的なもの以外に常備軍といえるものがなかったとみなされる。
【歴史的役割】過渡期における権力形態であった絶対主義が果たした役割は進歩的であるとともに反動的であったと考えねばならない。上述した3見解のうち,[1]の主張者は前者を強調し,[2]の立場の論者は後者を力説した。進歩的と呼ばれるものは封建諸侯を抑えることによって実現された君主権による国家統一であり,たとえば統一市場の形成などによってその結果国内における資本主義的経済発展が大いに促進された,とみる。しかし同時に絶対主義はその成立母胎ともいうべき封建的社会構造(領主制とピラミッド的身分制)から脱却しえず,他面成長しつつあるブルジョワジーがかかる封建的残滓を桎梏と感じてその否定を要求するにいたると,君主権は封建的なものにてこ入れしてブルジョワ的発展を一定の枠内にとどめようとはかるのであり,ここにブルジョワ革命が必然化されてくる。かなり図式化されるけれども,以上のことが16〜18世紀のヨーロッパにおける客観的歴史事実から明らかにされてくるのであり,均衡論をとるとらないにかかわりなく絶対主義の理解には封建的・ブルジョワ的という二側面からの接近が必要と思われる。また,日本史の上で絶対主義時代をいつに設定するかは議論の多いところであり,明治維新の性格規定についても,これを絶対主義の成立とみなす説,不徹底な市民革命とみる説,市民革命と割り切る説などの対立が認められる。
〔参考文献〕河野健二『絶対主義の構造』1950,日本評論社
白杉庄一郎『絶対主義論批判』1950,三一書房
大野真弓編『絶対君主と人民』世界の歴史8,1961,中央公論社
今井宏『絶対君主の時代』世界の歴史13,1969,河出書房