●折衝府 せっしょうふ
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中国,唐の府兵制度を運用するため地方に置かれた府兵指揮機関局ともいうべきもの。軍府ともいわれる。初めは儀同府・驃騎将軍府・鷹揚府などと称されていたが,636年(貞観10)折衝府といわれるようになった。全国に500〜600余置かれ,時代によってその数に変動がみられる。折衛府の3〜4割が首都長安と洛陽を中心とする関内道に集中して置かれていた。これら折衝府は農民のなかから徴兵されてきた府兵を統轄し,ここから首都の警備や辺境防衛などの任務に赴かせた。統轄する府兵の数によって,折衝府は上府(1,200人)・中府(1,000人)・下府(800人以下)の3ランクに分けられた。さらに,これらの折衝府内で,府兵は10人を1火,50人を1隊,200人を1団(したがって上府は6団,中府は5団)として編成された。折衝府の長官は折衝都尉と呼ばれ,その下に果毅都尉・長史・兵曹・別将・校尉などの指揮機関の責任者が配置されていた。玄宗皇帝の開元時代(713〜741)から府兵制は急速に崩壊していくが,それは同時に折衝府の機能の後退でもあり,749年(天宝8)には名目のみになった。〔参考文献〕浜口重國「府兵制度より新兵制へ」史学雑誌41―11・12,1930
谷霽光『府兵制度考釈』1962,上海人民出版社
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