●絶海中津 ぜっかいちゅうしん
アジア 日本 AD1336 南北朝時代
1336〜1405(建武3・延元1〜応永12)室町初期の臨済宗の僧で義堂周信とならんで五山学芸の双璧であった。字を要関といい別に蕉堅道人と号した。義堂と同じ土佐の人で豪族津野氏の出身,13歳のとき上洛,天龍寺に入り西方寺在住の夢窓疏石のもとに通参し,15歳で剃髪して中津と異名され,夢窓の命で高弟春屋妙葩(みょうは)に参禅,その翌年夢窓は入寂。そののちは同門の法兄義堂栄周信らと建仁寺に移り,龍山徳見に参じたのち,関東に住った義堂をたよって建長寺に移る。32歳入明,中竺寺の季潭の門に従い,絶海の号をうけ霊隱(りんにん)寺・径山(きんざん)などに歴参,そのあいだ明の太祖に謁し熊野古祠の詩を賦して大いに名声をあげた。42歳で帰国し甲斐恵林寺住持,48歳のとき3代将軍足利義満の忌緯にふれたが,のち誤解がとけ等持寺・相国寺住持,鹿苑院生,僧録にもなった。語録のほかに詩文集『蕉堅稿』がある。