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●世間話 せけんばなし

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 散文形態の言語伝承の一種として,昔話や伝説とともにあげられるもの。

【意義と特質】これまで,日本の民俗学の立場からは,柳田國男の「世間話の研究」をはじめ,今日の研究者の著作にも,かなり多く取りあげられている。その概念や内容については,必ずしも明らかに説かれていないが,それらの研究者の著作を通じて,この名称の用法を探るならば,さまざまな民間の説話の中で,何らかの地名や人名を伴って,あたかも経験や事実のように,広い世間の見聞について話すものをさすといえよう。そういう意味の世間話は,柳田の研究によると,おおむね本来の昔話にかわっておこったように説かれているが,必ずしも近世や近代にいたって現れたものとはいえない。それ以前の記録にも,雑談や街談巷説と記されて,かなり多く取りあげられている。

 世間話の世間とは,柳田の説明をかりると,〈わが土地でない処,自分たちの属しない群〉をさしたというが,実際の用例を探ると,むしろそれぞれの身のまわりを中心に,いっそうひろい世の中にわたるものといえよう。そのような世間の見聞は,民俗学でいう伝説と同じように,たしかな事実としてうけいれられるが,いわゆる伝説とは違って,はるかな過去に属することではなく,身近な現在に属することと認められている。もとより,いかにまことしやかに話されていても,確かにそのとおりとは決められないが,ただ事実とのつながりによって,ひたすら聞き手の心を捉えるのである。そういうわけで,世間話の著しい特質は,それぞれの場にふさわしく,聞き手の心に迎えられるように,自由にものをいうことであった。語りの調子による昔話と比べると,自由なものいいによる世間話は,それほど後の世に伝えられることなく,たいがいその場でいい捨てられるようである。しかし,いかに自由なものいいといっても,古くからの人々のくらしでは,話の種が思いのほか限られており,話の型もむやみに多くなかったとみられる。たとえば,大力の女の話は,広い範囲にもてはやされるものであるが,人の入った風呂桶をもち上げたとか,暴れまわる牛を取り抑さえたとかいうように,いくつかの型どおりの話が,多くの土地で繰り返されている。

【範囲と種類】そのような世間話の材料は,しばしば昔話や伝説からもとられているが,ただそれだけに限られるものではない。いわゆる世間話の大部分は,いわゆる奇事異聞によって占められている。実際には,「何か変わったことはないか」などといって,しきりに珍奇な話題が求められてきた。さしあたり身近な人や家や村について,何か珍しい性格や運命や事件などが取りあげられた。わけても,さきにあげた大力をはじめ,大食・大酒・大胆・臆病・芸達者・鉄砲上手など,どこか人並はずれた性格が,いっぷう変わった言動を伴って,最もよい話の種とされている。ところで,身近なところに珍しい話が尽きてくると,広い世間に話の種が求められていった。しかも,はるかな異国の話題については,たしかな地理上の知識が得がたかったために,とにかく現実と神秘とが入りまじりがちであった。山の奥の隠れ里の消息から,海のかなたのメリケン・オロシヤの風聞まで,まったく途方もないこしらえごとが,何しろおれたちの世界と違うのだから,あるいはそうかもしれないと,いわば半信半疑のままで受け入れられていた。かつては,旅から帰った旅人とともに,山伏・遊行聖・巫女・旅芸人・旅職人・行商人など,よそから訪れる旅人によって,そのような異国の消息がもたらされたのである。それらの世間師の活動のために,世間話の素朴な味わいも,しだいに失われるにいたったといえよう。

〔参考文献〕柳田國男「世間話の研究」『定本柳田國男集』7,1962,筑摩書房

大島建彦『咄の伝承』1970,岩崎美術社