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●石油輸出国機構 せきゆゆしゅつこくきこう

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【OPEC誕生の背景】OPECは1960年9月,当時の主要石油輸出国であったベネズエラ・サウジアラビア・イラン・イラク・クウェートの5カ国によって創設された石油生産輸出国の協議会。OPEC結成の直接の契機は1959年2月と1960年8月の2度にわたり,メジャーを中心とする国際石油会社が,一方的に中東原油の公示価格をひき下げたことによる。しかしながら,誕生の背景には次のような事情も存在していた。すなわち,[1]1953年ごろから国際石油市場は供給過剰,買い手市場の模様を強めたこと,[2]産油国とメジャーズとの不公平な利権協定是正の動きが進んでいたこと,[3]アメリカが実施した強制的石油輸入制限(1959年3月)の影響があったこと,[4]産油国間の結びつきの強化がしだいに進んでいたこと,なとがあげられる。

【OPECの目的】目的として,[1]原油価格の安定維持のため,産油国の共通石油政策を立案・実施する,[2]原油価格の安定を保証する方式として生産制限を検討する,[3]消費国への有効かつ安定した原油の供給をはかる,[4]石油会社との公平な利益配分を考える,などである。

【加盟国】現在は,創設国5カ国に加え,カタール・インドネシア・リビア・アラブ首長国連邦・アルジェリア・ナイジェリア・エクアドル・ガボンの13カ国である。

【機構】[1]総会。最高機関で,政策決定の責任を負う。加盟国代表で構成され,理事会が提出した報告について決定する。年に少なくとも2回は開催される。[2]理事会。機構の運営にあたり,予算を作製し,総会決議を実施する。理事は各加盟国各1名。その任期は2年。年に少なくとも2回は開催される。[3]事務局。ウィーンにおかれ,調査・行政・人事・経済・広報・法律・技術・統計の各局からなる。なお,このほかに,1976年1月28日のパリ蔵相会議で発展途上国援助のために,OPEC国際開発基金が設立され,当初の規模は8億ドル,現在約40億ドルに及んでいる。

【OPECの活動】OPEC成立後約10年間は基礎固めの時期にあり,原油価格・生産量・販売のいずれもメジャーに全面依存しながら,一方でどのようにして産油国の利益を守り,メジャーの支配から脱却しようかと模索し,実力を貯えた時代である。次の1971〜73年は漸進的改革の時代。1978年にかけては第4次中東戦争(1973年10月)を契機に発生した第1次石油危機の折,OPEC諸国はメジャーと結んでいた価格協定を一方的に破棄し,原油価格を一挙に4倍に値上げし,価格と産油量の決定権を産油国の手に移した。そして「史上最強のカルテル」としてのOPECの地位を確立した。しかし同時に始まった世界経済の不況が「石油ダブツキ」の時代をひきおこした。そして1979年以降は,イランのイスラーム教革命が契機となって発生した第2次石油危機の過程で,産油国は価格・生産量・販売までも支配するにいたった。1982〜83年の注目すべき事柄は,石油減産に初の合意が得られたこと,および史上初の値下げという現象である。すなわち1982年3月20日,第63回臨時総会で,[1]加盟13カ国の原油生産に上限を(4月以降)1,800万バレル/日,基準原油価格を1バレル=34ドルと定めた。なお国別生産割当は合意にいたらなかったが,総会後ヤマニ,サウジアラビア石油相が同国独自に日量50万バレル減産を発表した。さらに1983年3月14日,第67回臨時総会で,[1]基準原油アラビアン=ライトのラスタヌラ渡し公式販売価格を5ドル引き下げて,1バレル=29ドルとする,[2]生産上限を1,750万バレル/日とする,[3]国別生産割当量を設定するが,サウジアラビアは需給の均衡をはかるスウィング=プロデューサーとする,などが定められた。

【今後の展望】石油需要の増加がつづいている時期には,加盟国の足並みは揃っていた。けれども石油需要の緩和に伴い,減産・値下げをめぐり,内部対立が目立ち始めており,サウジアラビア・クウェート・カタール・アラブ首長国連邦の諸国とほかの産油国とのあいだの対立がつづきそうである。なおOPECの地位の復活は,1980年代の後半までは困難であろうが,それ以降においては非OPEC諸国の原油生産が下降をはじめ,石油需要の増加と相まってOPECの市場支配力が回復するだろうといわれている。

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