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●石油問題 せきゆもんだい

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 石油はエネルギー資源・化学工業の原料としてきわめて重要であるにもかかわらず,埋蔵量の限界と産油地の偏在から深刻な問題をひきおこしている。現在の世界における,こうした石油をめぐる諸問題を石油問題と総称する。

【石油の生成】石油の生成原因ははっきりしていないが,地質時代の海棲動植物,とくにプランクトンの遺骸が堆積し,地圧や地熱を受けて変成したとする有機成因説が有力である。古生代白亜紀第3紀の地層に産し,とくに第3紀の地層に多い。多孔質の水成岩中に水と天然ガスにはさまれて存在し,その上部には溜まった石油を押さえる役目を果たす質の密な岩石層が必要である。さらに,地層が上方に褶曲した背斜軸の部分に産する。このような地質条件から石油の産出地は限定され,確認埋蔵量の50%が中近東である。

【石油利用の歴史】石油発見の歴史は古く,メソポタミアのバベルの塔の壁に石油ピッチと粘土の混合物が用いられたと伝えられ,日本でも668年(天智天皇7)に〈越の国より燃ゆる土と燃ゆる水を献ず〉の記事が『日本書紀』にみられる。越の国は現在の新潟県,燃ゆる土はアスファルト,燃ゆる水は石油である。発見の歴史が古い石油も,燃料用などの使用がほとんどで,エネルギー資源として重要な地位を占めるようになるのは,20世紀に入ってからである。1880年代にドイツでダイムラーとベンツが石油エンジンを発明,1903年にはライト兄弟の飛行機の発明,それとほぼ同時期のディーゼル機関の発明につづく石油化学工業の発達は,石油をエネルギー資源の主役にさせた。石炭を中心とする固体エネルギー源の地位が低下し,石油を中心とする天然ガス・電力・液体ガスなど抗体エネルギーにとってかわることをエネルギー革命といい,第二次世界大戦後,とくに1960年代に顕著となった。日本でも大正末期には総エネルギー需要の80%を石炭が占めていたのに対し,1955年(昭和30)には石油が総エネルギー需要の20%となり,1975年(昭和50)には80%となり,同時にその海外依存度も90%に達した。1979年(昭和54)には海外依存度は99.8%にも達している。

【世界のエネルギー消費】世界のエネルギー消費をみると,1960年(昭和35)には石炭・亜炭51%,石油32.2%,天然ガス14.8%であったものが,1980年(昭和55)には,それぞれの割合は,31.2%,43.4%,21.9%となり,1973年(昭和48)のオイルショック以後も世界のエネルギー消費の大半が石油・天然ガスで占められていることがわかる。

【石油の埋蔵量】石油はほかのエネルギー資源に比較して可採年数が短く,およそ30年前後といわれている。可採年数は埋蔵量と生産量によって決定されるのであるが,埋蔵量は計算方法・採鉱意欲・統計の目的によって変化し,埋蔵国の政策上の問題もからんで正確な数値は出しにくい。地質構造上から推定できる総量中,採掘可能なもので,すでに埋蔵量が確認されているのが確認埋蔵量であり,将来,発見が予想されるものが推定埋蔵量である。石油の埋蔵量の多い国は,サウジアラビア・クウェート・ソ連・イラン・イラク・アラブ首長国・メキシコ・アメリカ・リビア・中国などであり,50%以上を占める中近東(西アジア)の国々のなかでも,サウジアラビアが全世界の約20%を占めている。

【石油の生産量】一方,生産量の多い国は,ソ連・サウジアラビア・アメリカ・イラン・イラク・クウェート・ベネズエラ・ナイジェリア・中国などで,サウジアラビアのガワール油田は世界最大の油田として知られる。

【石油消費量増大とオイルショック】ところが石油のおもな消費国となると,アメリカ・ソ連・日本・西ドイツ・フランス・イタリア・中国・カナダ・イギリス・オランダなど欧米を中心とした先進国がほとんどで,生産国と消費国の一致しないところに最大の石油問題を生じさせる原因がある。では,今日,石油文明と呼ばれるくらい,石油の消費量が多くなった原因は何であろうか。それは,自動車・飛行機の発達・普及と化学工業の発達であるが,それらを発達させた原動力として,きわめて有益なエネルギー資源である石油の価格の低さがあったからである。タンカーの大型化・大型パイプライン技術により輸送コストは,1960年代には50年代の3分の1以下に,石油精製能力の増大により精油コストも2分の1以下に低下し,石油へのエネルギー転換はますます促進された。実際に第二次世界大戦後25年間,原油の公示価格は2ドル前後であり,これほど安いエネルギー資源・化学工業原料はなかったのである。この背景にはメジャーの影響力が産油国政府より強く,メジャーの中核をなすアメリカの国内の生産量が多かったことがあげられる。メジャーとは,ギリシア神話になぞってセブンシスターズと呼ばれる7大石油会社のことで,これにフランス石油を加えた8社をさすこともある。7大石油会社は,エクソン(スタンダードオイル=ニュージャージー)・ソコニー=モービル=スタンダードオイル=オブ=カリフォルニア(ソーカル)のロックフェラー財閥系会社,ガルフオイル・テキサコのメロン財閥系会社,イギリスのシェル運輸貿易会社とオランダの商社ロイヤル=ダッチとの合併会社であるロイヤル=ダッチ=シェル,そしてウィリアム=ノックス=ダーシーがイランの石油権を獲得して設立したことに始まるブリティッシュ=ペトロリウム(BP)である。これら大資本の石油会社はすでに第一次世界大戦直前から,石油の採掘・精製・販売にいたる全分野での石油市場支配を行っていた。ところが,石油事業への経営参加原油価格引き上げを求める産油諸国は,1960年にOPECを結成した。その後,アメリカは国内の石油生産量が低下し,先進国の石油需要がますます増大するなかで,産油国内にもリビア・イラク・アルジェリアなどの急進派が台頭してきた。こうした世界情勢のおり,1973年に勃発した第4次中東戦争にさいし,アラブ産油国はイスラエルとその支持国に対し,石油の補給削減と価格引き上げを宣言し(石油戦略),OPECは原油価格の4倍引き上げ・経営参加・利益配分率の大幅改訂・外資の国有化などに成功した。このため,世界経済は大混乱に陥った。これがオイルショック(石油危機)である。オイルショック前後の石油価格は,1バーレル(約159l)あたり,1971年2月2.18ドル,1972年1月2.479ドル,1973年12月11.651ドルである。さらに1979〜80年にはイラン王制の崩壊とイラン・イラク戦争が開始されたことを契機として,石油価格は20ドル台に突入し,1981年には34ドルにまでなった。しかし,オイルショックにより高度経済成長時代が終わり,今や世界経済は不況・低成長時代になったため,1983年3月に石油価格は29ドルに引き下げられた。

【OPEC内部の悩み】原油生産シェアの約50%,輸出量の約80%を占めるOPECは,未だに有力な代替エネルギーの得られない現在,依然として石油市場に強大な力をもっているのであるが,OPEC内部には産油諸国の国情による悩みもある。それは,ナイジェリアやインドネシアなどのごとく増大する人口を抱え,石油によってなるべく多くの外貨を得ようとする国々と,サウジアラビアやクウェートのごとく,人口が少なく産油量が豊富で十分なオイルマネーオイルダラー)を蓄え,世界情勢によって産油量を調整できる国とがあり,価格政策などの意志統一ができにくいことである。

【代替エネルギーの開発】このように石油は今日の世界文明を支える重要資源であるにもかかわらず,ほかの資源に比べ埋蔵量が少なく,偏在し,産油量の少ない地域において大量に消費されることによって,大きな問題をひきおこしている。この問題解決の最善の方法と思われる代替エネルギーに関しては,オイルサンド・オイルシェールの開発,石炭の液化・ガス化,水力・地熱・原子力・太陽熱・風力・潮力の利用,バイオマスエネルギーの開発などが考えられ,すでに実行に移されている。しかし,経済性・安全性・エネルギー量の小ささ・自然条件の制約などから,十分ではない実情である。今後とも代替エネルギーの開発に努めるとともに,有限な資源の有効利用とその配分などに関した資源管理のあり方を探求し,資源利用に伴う環境破壊にも十分な配慮をしなければならない。