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●石油 せきゆ

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 地下から天然に産する,おもに炭化水素の混合物で可燃性の油状物質である。精製されていない自然の状態のものを原油という。石油の成因については,まだ明らかではない。19世紀から20世紀にかけては,無機的な成因説が唱えられたが,現在では有機成因説が支配的である。現在の陸塊の大半が海であった何百万年も昔,微小な海生動植物(とくにプランクトン)などの遺体からできたとする説である。すなわち,生成過程としては,おびただしい数の動物や植物の残骸が海底に沈澱し,海成の堆積層のなかで泥や砂と混じり合う。ついで,時代とともに海は後退し,地殻の変動で堆積層が変化を受けて,上に積み重なった岩の熱や圧力の作用で深く埋没していた有機物が石油に変わるという生成過程の説である。

歴史と沿革】石油と人類の出合いは古く,前3000年前後にメソポタミアでアスファルトをモルタル代わりに接着剤として使用していた。また,これ以前にもシュメール人・アッシリア人・バビロニア人がアスファルトの防水機能に注目して,利用していた。前5世紀ごろのギリシアの歴史家ヘロドトスの『歴史』に,石油やアスファルトの入手方法の技術や『旧約聖書』にも石油についての記録がある。しかし,これらの古い時代では,地表にしみ出している原油やアスファルトが医薬や“燃える水”として宗教上の儀式をはじめ,接着剤・防水剤・防腐剤として土建・工芸やミイラの保存などに使われていたにすぎなかったのであろう。また,日本でも,668年(天智天皇7)に新潟地方から石油が出たという記録がある。このように古くから利用されていた石油も灯火用に大量に利用されはじめて需要が拡大したのは19世紀半ばのころである。とくに1859年,アメリカのペンシルバニア州タイタスビルで,E.ドレークが井戸を掘って石油を採取することに成功したことを契機に石油産業は急速に伸びはじめた。もっとも最初は,鯨油に替わる照明用油として開発されたが,社会の経済発展と技術的進歩により用途が拡大した。しかし,1879年のアメリカのエディソンの白熱電灯の発明により,灯火用としての石油の需要は急減した。しかし,このころから各種の内燃機関,とくに石油を燃料とする内燃機関の発明があいついで,石油消費の大幅な増大をもたらした。1885年ドイツにおいて発明された自動車内燃機関は19世紀末以降の自動車工業発展の基礎となり,1893年ドイツのディーゼルによって発明されたディーゼルエンジンは,海上交通に革命的な変化を与え,現在までに全船舶の4分の3以上は石油を燃料とするにいたっている。また航空交通機関での石油の使用は,1903年のアメリカのライト兄弟の飛行成功に始まるが,第一次・第二次の両世界大戦をへて,ジェットエンジンの発明によるジェット機時代の出現などを含め,現在の各種交通機関の発展は石油の存在なくしてはありえなかったわけである。石油が石炭よりも低廉で安定性が高く,ボイラー用燃料としても石炭より優れていることから,電力エネルギーや工業用動力として第二次世界大戦後,急速に石油の需要が増大した。とくに1960年以降は欧米諸国も石炭から石油へのエネルギー転換がみられる。とくに日本では1960年代に石炭産業をスクラップアンドビルトするという合理化政策を遂行し,さらにエネルギーをほぼ全面的に安価で安定的な石油に依存する基盤のもとで,日本の高度成長が達成されたと考えられる。しかし,1973年(昭和48)の石油危機以降,石炭の見直しや原子力エネルギーへの依存拡大が計画されている。

【製法と製品】石油は原油として採掘され,それを直接石油製品として扱うことはほとんどなく,種々の精製工程をへて製品になる。石油精製は通常,沸点範囲に応じて原油を各溜分に分け,これを調合あるいは純度を高めて各種製品に仕上げる。まず,脱塩装置により無機塩類を除き,加熱炉で300〜350℃に熱してから,図1のように常圧蒸留装置で蒸留すると,石油ガス・ナフサ・灯油・軽油などに温度差により分けて取り出される。石油ガスは主成分がプロパンやブタンであるが,これを液化したものが液化石油ガス(LPG)と呼ばれ,家庭用から自動車用・工業用燃料として幅広く使われている。ナフサは,石油化学工業における各種の原料として最も重要なもので,ナフサ分解装置によりブタジエン・メタン・プロピレン・エチレン・ベンゼン・水素などに分解され,これらから,塩化ビニール・合成繊維・合成ゴム・洗剤・医薬品・フィルム・肥料・溶剤・接着剤などのあらゆる石油化学工業製品が製造される。また,調合されて自動車ガソリンや都市ガス用原料にもなる。灯油は,水素化精製装置により石油ストーブなどの家庭用燃料の白灯油と航空機用のジェット燃料に分けられる。軽油は,水素化精製装置によりトラックやバス・乗用車などの高速ディーゼルエンジンの燃料用として使われる。蒸留した残りは,常圧残油と呼ばれ,次に減圧蒸留装置による真空に近い状態で蒸留することにより重油・潤滑油・パラフィン・アスファルトが生成される。重油には,A・B・Cの3種類がある。A重油は,大型ディーゼルや工業用燃料や原料に,B重油は船舶用大型ディーゼルエンジンおよびボイラー加熱用燃料・都市ガス用に,C重油は,火力発電所ボイラー・加熱炉などの燃料に使用される。潤滑油は,各種エンジンの潤滑油と各種機械の潤滑油,軸受や回転部の潤滑油など多種にわたっている。パラフィンは,ろうそく・防湿剤・パラフィン紙・クレヨン・電気絶縁剤などに使用される。アスファルトは,道路舗装用や防水・防湿・保温材として使用される。このほかに,さびどめ油や乳化剤と混合して農薬に使用される乳剤用油,グリースや変圧器の電器絶縁油など特殊なものも石油製品である。

原油産出量と埋蔵量の分布】原油産出量の国別順位は,時代によって変動がある。1982年には,表1のように,ソ連・アメリカ合衆国・サウジアラビア・メキシコ・イギリスの順である。1970年には,アメリカ合衆国・ソ連・イラン・ベネズエラ・リビアの順であったが,1980年以降は,イラン-イラク戦争の影響や中東・アラブ諸国とベネズエラなどの減産によってメキシコ・イギリス・中国などが上位を占めるようになった。原油の確認埋蔵量は,中東と北アフリカに世界の60%以上が集中して偏在している。ついで,ソ連・メキシコ・アメリカ合衆国・ベネズエラ・中国・イギリス・インドネシアなどに多く,これらの諸国で30%以上を占める。すなわち,概略的にみるとペルシア湾・カスピ海沿岸を中心とする中近東から北アフリカと東ヨーロッパの地域とメキシコ湾・カリブ海沿岸を中心とする2大地域に集中的に偏在していることになる。

国際石油資本石油産出国】石油産業は産油(探鉱・開発・採油)・輸送・精製・販売の4部からなり,とくに産油部門のアップストリームは原油の探査に巨大な資本を必要とするために,国際的な石油資本により行われることが多かった。資本の集中と独占が高度に進んだ世界の石油産業はいわゆる8大国際石油資本(メジャー)と呼ばれ,エクソン・モービル・スタンダード=カルフォルニア・テキサコ・ガルフ(アメリカ系)・シェル(イギリス−オランダ系)・ブリティッシュ=ペトロリアム(イギリス系)・フランス石油(フランス系)の8社が1960年代後半まで,資本主義世界の原油生産の大半を独占していた。そして,メジャーは原油価格を一方的に決めていた。そして産油国は,その原油の所得税収入などにより外貨獲得を行っていたのである。1953年のエジプトによるスエズ運河国有化事件が1958年に国連の介入により解決し,スエズは再開された。しかし,動乱による石油供給不安を脱却するため西半球の油田で行われた増産が動乱後も解消しなかった上に,イランの国有化事件解決後の中東の石油生産が復調に転じたため世界的な石油供給過剰となった。そのため,国際石油資本は,中東の原油の公示価格引き下げを2回にわたって1960年8月までに行った。これは,ただちに産油国側の利益配分の低下を意味し,これに対抗するために,1960年9月イラクのバクダートに,サウジアラビア・イラン・クウェート・ベネズエラ・イラクの5カ国が集まり石油輸出国機構(Organization of Petroleum Exporting Countries)を結成した。OPECの目的は,当初は公示価格を石油会社が引き下げず,石油会社からの分け前をふやす方法を検討することにあった。その後,カタール・インドネシア・リビア・アブダビ・アルジェリア・ナイジェリア・エクアドル・ガボンの8カ国が加盟して,構成国は13カ国となった。1960年代のOPECは公示価格の引き下げを押さえる役割を果たしたにすぎなかったが,1970年代にはいるとOPECの攻勢が始まり,協定を通じて原油公示価格の引き上げ,将来にわたるインフレ補償,所得税率の引き上げなどに成功した(1971年,テヘラン協定・トリポリ協定)。その後,ドル切り下げに対する補償も獲得した(1972年,ジュネーブ協定)。一方,産油国政府は利権協定を改めて,国際石油会社と協定(リヤド協定)を結び,1973年から25%,しだいに増加して1981年に51%事業参加をする国有化政策を打ち出した。しかし,1973年秋の第1次石油危機による力関係の逆転により,この協定を産油国側は廃棄して,1974年から60%の事業参加を実施し,1983年では,イラン・イラク・クウェート・カタール・ベネズエラが100%の国有化を実現している。100%の国有化を実現していないサウジアラビア・アラブ首長国連邦・リビアなどの他のOPEC諸国も,自国内の国際石油会社に種々の強力な主権を主張して,100%国有化と変わらない実質を示している。1973年秋の第4次中東戦争のときには,OAPEC(アラブ石油輸出国機構)が原油の生産を制限し,輸出先をも指示して原油価格を一方的に引き上げるという,石油を政治的な大きな武器として使用した。その後,世界的不況による需要の停滞と北海・メキシコ・アラスカ地域などでの増産によって原油の需要が緩和して,原油価格の値上げは小幅にとどまったが,1979年のイラン政変と1980年のイラン−イラク戦争により,イラン・イラクの原油供給の大幅減が原因で需要が逼迫して再び原油価格の大幅値上げがおこった(第2次石油危機)。OPEC加盟13カ国は全世界原油生産量の45%,確認埋蔵量の70%弱,石油貿易量の80%弱を占めており,石油依存度の高い資本主義世界において,エネルギー安定供給が果たしている役割は決定的である。さらにOPECの中心的な中東ペルシア湾岸諸国が,種々の紛争の当時国であり,これが資本主義世界全体の石油供給を危険にさらすことなどから,OPECとOAPECの動きが世界の重大関心事である時代が今後もつづくことは間違いないであろう。

【エネルギー政策の変化】1973年秋の第1次石油危機を契機に,欧米諸国と日本は,エネルギーの節約と代替エネルギーの開発により,石油エネルギーへの依存度を減少させる政策を取りはじめた。日本はエネルギーの海外依存度が90%以上できわめて高い。しかも供給量の62%が石油であり,その石油は99.8%を輸入している(1982)。このようなエネルギー供給構造から,日本では省エネルギーの促進と石油代替エネルギーの利用拡大が2度の石油危機の経験を通じてはかられている。日本政府は,1982年(昭和57)4月の長期エネルギー見通しを改定し,1983年11月,新しい「長期エネルギー需給見通し」を発表した(表2)。表2のように1982年4月の見通しではエネルギー源の脱石油化がとくに強調されていたが,1983年ではエネルギー源としての石油に再評価を与えている。すなわち,石油の供給量は,1982年度実績の2.4億kl程度で今後2000年まで推移すると予想し,エネルギー需要を1990年度で前回より22%減少させ4.6億kl,石油のしめる割合も49.1%から52.5%と修正して予想している。そして,1990年度までの需要増加分を,原子力と天然ガスの利用をそれぞれ約2倍増加させてまかなおうと計画している。また,石炭や水力については,やや需要が増加するとみ込み,地熱エネルギーや新燃料油・新エネルギーに関する需要も,それ自体の倍率では大幅増加を予想しているが,全体量からすると微量である。

代替エネルギーと将来予測】石油は現在,エネルギー源として圧倒的な地位にあるが,枯渇して無くなることは時間の問題だとされている。そこで,現在ある石油資源を有効に利用するとともに,太陽エネルギー・地熱エネルギー・原子力エネルギーなどを中心とした,石油に替わる新しいエネルギー源の開発が世界的に進められている。日本では,原子力発電と天然ガスによるエネルギー供給の転換が行われ,石炭液化技術と太陽光発電の研究・開発が注目されている。一方,石油を含んでいながら,開発費が高いため採掘されなかったタールサンドとオイルシェールが注目されはじめた。タールサンド(油砂)は,石油を含んだ砂で,これから熱処理と精製とによって原油に近いものが得られる。そのほとんどは,カナダ・ベネズエラ・コロンビアの3カ国に集中している。なかでも,カナダのアルバータ州のアサバス川流域では60mの厚さのタールサンドが約8万平方kmにわたって分布しているといわれ,開発も進んでいる。しかし,大量の砂を廃棄物として出すため,環境の破壊が問題とされている。オイルシェール(油母ケツ岩)はケロシンと呼ばれる固体の有機物を含む水成岩で,これを熱すると重質原油によく似た,ケツ岩油(シェールオイル)を得ることができる。その埋蔵量の半分はアメリカのコロラド・ユタ・ワイオミングの3州に,3分の1強がブラジル南部に集中しているといわれている。しかし,この開発は,タールサンド以上に困難で,多くの石油会社が開発技術の研究に取り組んでいる。

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