●責任内閣制(西洋) せきにんないかくせい
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議会,とくに下院で多数を占める政党の党首が内閣を組織し,内閣が議会に対して,またこれを通じて選挙民に対して政治上の責任を負う制度。ドイツのハノーヴァー公国から迎えられ54歳でイギリス王となったジョージ1世は,ほとんど英語を解せず,即位後4年間に10回ほど閣議に出席しただけで,1718年以後はまったく閣議を主宰することがなかった。ジョージ2世も同様であったために,閣議の構成員のうち指導的人物が王に代わって閣議を主宰し,その結果を王に報告する慣習ができた。ジョージ1世・2世の治世中,大蔵総裁兼大蔵大臣ウォルポールが閣議を統率し,“第1の”大臣すなわち首相となった。1742年ウィッグ党内の反対派とトーリー党が連携してウォルポールに対する反対派を形成したため,ウォルポールは下院の多数を支配しえなくなり辞職した。議会の信任を確保しえないという理由で内閣が辞職したことは責任内閣制発達史上重要な先例をなすものであり,以後議会政治の慣習となった。責任内閣制は1832年の第1次選挙法改正以後名実ともに確立し,多くの国の政治制度に取り入れられた。