●石達開 せきたつかい
アジア 中華人民共和国 AD1831 清
1831〜63 中国,太平天国の指導者の一人。広西省貴県の客家の地主兼自作の富農の家に生まれた。科挙に応じて孝廉にあげられたが,洪秀全・馮雲山に上帝会入会を勧められ,1850年(道光30),族をあげて金田村の軍営に参加した。永安建国のときには,翼王に封じられた。1853年(咸豊3)安民を行い,郷官により税を徴収した。1854年,湘勇と対決するため羅大綱らと出陣し,1855年九江の水軍に打撃を与え,武漢を奪還し,天地会と呼応し,曽国藩を南昌に孤立させた。1856年,東王楊秀清らと江南大営を敗った。同年北王韋昌輝が東王を殺すと,北王を非難したので,一族は惨殺された。彼は,天王洪秀全に北王殺害を要求した。天王は,北王を殺し,彼を天京に迎え,輔政とした。しかし,天王からねたまれたので,1857年安慶に移り,湖南・広西などで戦い,1859年慶遠を占領し,太平天国から分立した。1861年永利の四川蜂起に呼応し,四川・貴州・雲南などに戦ったが,将兵を救うため四川総督に投降し,殺された。