●関孝和 せきたかかず
アジア 日本 AD1660 江戸時代
1660ごろ〜1708(万治3ごろ〜宝永5)江戸時代の数学者。和算の最高峰で算聖と呼ばれる。通称新助,字は子豹,自由亭と号した。生地は不明。内山家に生まれ関家の養子となる。孝和は甲州藩徳川綱重およびその子綱豊(のちの将軍家宣)に仕えたが微禄であったといわれる。沢口一之の遺題に挑戦し解答したのが『発微算法』(1674)である。従来の算木による計算から一歩すすんで筆算による代数を創始し,これはのちに点竄と呼ばれた。今日の方程式論・行列式に相当する研究をし,西洋の研究に先立つものであった。また,円周や弧の長さを求める方法を研究している。これはのちに円理と呼ばれ積分に相当するものへ発展したが,孝和の時代にはまだそこまでは達していなかった。孝和の業績は直接の門人・弟子,さらにその流れへと継承発展され新理論が加えられた。これは関流と呼ばれ,和算学界の最大流派であった。初期最大の弟子は建部賢弘で第一伝と呼ばれ,第二伝荒木村英,以下第三伝,第四伝……とつづいた。