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●関ケ原の戦い せきがはらのたたかい

アジア 日本 AD1600 江戸時代

 1600年(慶長5)徳川家康の率いる東軍と石田三成を中心とする西軍が美濃国関ケ原(現岐阜県不破郡関ケ原町)で行った合戦をいう。豊臣秀吉の死後,五大老中筆頭の実力者徳川家康に強い反感を抱いていた五奉行の一人石田三成は,豊臣政権の将来への危機感から家康を除こうとして内密に策を講じていた。これに対し家康は1600年6月,三成を通じて上洛しない会津の上杉景勝を討伐する名目をもって東下し,三成を挑発した。三成は7月,この機会に西国大名を糾合して挙兵,家康方の伏見城を攻めた。一方家康はこの報を聞くや軍議を開き,西上の準備をすすめ,東海道を進撃した。9月15日両軍は関ケ原で衝突,その兵力あわせて約15万という。戦いは両軍一進一退であったが,かねてから内応を約しながらも去就を明確にせず形成をみていた小早川秀秋が寝返ったことによって一気に東軍の勝利となった。家康は戦後,三成ら中心者を処罰し,西軍に加わった諸大名の改易・減転封の処分を行い,これにより事実上徳川氏の覇権が確立し江戸幕府の開設にいたった。

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