●赤十字 せきじゅうじ
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[1]白地に赤の十字形を表した徽章で,赤十字社を創立したスイスの国旗の赤地に白十字の白と赤の部分の転用。[2]赤十字社・赤十字病院の略語。ここでは赤十字社について述べる。【赤十字の歴史】1828年5月8日ジュネーヴに生まれたアンリ=デュナンは31歳のとき,事業でイタリアに赴いた。まさにイタリア統一戦争の折で,フランスの援助によるサルディニア軍とオーストリア軍の血みどろの戦いがソルフェリーノで展開していた。デュナンは多数の負傷者が食糧もなく,看護も受けられず戦場に放置されている状態を目のあたりにみ,自ら救護にあたるとともに,付近の人々にも援助の手をさしのべるよう要請した。ジュネーヴへ戻ったデュナンは1862年12月『ソルフェリーノの思い出』という1冊の本を自費出版した。その本のなかで彼は,[1]戦場の負傷者と病人は敵味方の区別なく救護すること,[2]そのための救護団体を平時から各国に組織すること,[3]この目的のために国際的な条約を締結しておくこと,の必要性を強調した。この計画の遂行にジュネーヴ市民4名が協力を申し出た。すなわちギョーム=アンリー=デュフール将軍・ギュスターブ=モアニエ公共福祉協会長,ルイ=アッピア・テオドール=モノワール両医学博士である。デュナンと上述の4人が1863年2月17日,ジュネーヴに5人委員会(現在の赤十字国際委員会)を設立,9月1日覚書を作成,ヨーロッパ16カ国に招請状を送り,10月26〜29日ジュネーヴで国際会議を開催。その会議で[1]救護団体を各国に創設すること,その標章として「白地に赤十字」を決めた全文10条からなる赤十字規約を採択。そしてこの規約を基礎にベルギー・スペイン・フランスなどに救護団体(現在の赤十字社の前身)が創設され始めた。
自信を得た5人委員会は世界的ひろがりを求めて,その名称を「傷者救護国際委員会」と名づけ,国際条約の締結に邁進した。スイス連邦政府は1864年8月8日,バーデン・ベルギー・デンマーク・スペイン・フランス・ヘッセン・イタリア・オランダ・ポルトガル・プロシア・スイス・ウルテンベルク・アメリカ・イギリス・スウェーデン・ザクセンの16カ国24名の政府代表をジュネーヴに召集し外交会議を開催。8月22日「戦地軍隊における傷者の状態改善に関する1864年8月22日のジュネーヴ条約」にアメリカ・イギリス・スウェーデン・ザクセンを除く12カ国政府が調印した。
なお赤十字といえば,「ナィティンゲール記章」が思い出されるが,この記章は,フローレンス=ナイティンゲール(1820〜1910)の功績を長く記念するため設けられ,各国の功績ある優秀な看護婦および篤志補助看護婦を表彰する制度である。ナイティンゲールのクリミア戦争における“燈をかかげた婦人”と敬慕された救護活動,帰国後の軍隊医療制度の改革などは,赤十字事業に大きな刺激と示唆を与えたが,彼女自身が赤十字創設に直接に関与したわけではない。
【日本赤十字のおこり】日本赤十字社は1877年(明治10)西南の役を契機に両軍の傷病者救護のために,佐野常民の提唱で,「博愛社」として同年5月1日に創立。日本政府のジュネーヴ条約への加盟(1886年6月5日,公布11月15日)をへて「日本赤十字社」と改称,1887年9月2日,赤十字国際委員会から赤十字社として正式に承認され今日にいたっている。
【赤十字の国際活動】[1]1864年の普墺戦争に国際委員会の代表を送り,負傷者・捕虜を救護したのを手初めに本格的な国際活動を開始。[2]第一次・第二次世界大戦中は捕虜の情報収集・収容所の待遇改善などに大いに力を発揮。[3]現在,戦争・紛争の犠牲著の救援は赤十字国際委員会の任務,自然災害の救護活動は赤十字社連盟が連絡調整の任とされ,各国赤十字社も協力している。最近の救援活動としてはアフリカ旱ばつ救援,カンボジア難民への医療救護など。さらに赤十字社連盟では,発展途上国を援助するため,その開発計画を推進。日赤の国際救援活動は1906年に始まり,第二次世界大戦後から1982年3月末までの救援活動は約80カ国におよんでいる。
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