●世界宗教 せかいしゅうきょう
AD
文化・社会の境界を超えて,だれにでも開かれていて,実際に世界の各地に広まっている,あるいは広まりつつある宗教。未開宗教・部族宗教や民族宗教においては,社会や文化が宗教と一元的に関連しているのに対して,世界宗教では社会・文化に対してしばしば批判的な立場に立ち,宗教は非連続の側面を強くもっている。そのことは,世界宗教が,人種・国家・性別・階級を超えた平等主義にもとづいて,人間であればだれでも,その対象になりうるという構造をもっていることと一つである。そのような普遍主義的性格から,世界宗教はまたしばしば普遍宗教とも呼ばれてきている。世界宗教というカテゴリーには従来,ゾロアスター教・ヒンドゥー教・ジャイナ教・仏教・道教・儒教・キリスト教・イスラーム教,さまざまの密儀宗教や,世界各地で世界宗教をめざす最近の多くの新宗教運動が含まれる。そのなかには,名実ともに世界宗教として成立しているもの,強い歴史的民族的影響のために世界に広まらないで民族宗教の段階にとどまっているもの,まだ世界各地に成立してはいないが世界宗教を志向しているものがある。これら世界宗教の成立の背景には,人類史上の,とりわけ古代都市国家成立以後の文明の問題がある。G.チャイルドが指摘しているように,文明は人間の自己実現であるが,都市文明は,人間が物質を管理・支配することによって人間自身を管理・支配する。世界宗教は,そのような都市文明とその原理に対する宗教的批判・吟味として成立してくる。初期の典型的な世界宗教はジャイナ教・仏教・道教・儒教・キリスト教であるが,いずれも,その背景には社会・文化の深刻な非倫理的状況があり,そのような非人間的危機の状況に対して新しい人間,新しい世界を立てようとしている。そこには,現実世界に対する鋭い拒否の姿勢があり,現実世界を支える秩序にとって代わる新しい人間観・新しい秩序の世界観の提示がある。部族宗教や民族宗教では,しばしば社会のヒエラルヒーの首長は同時に宗教的指導者であるが,世界宗教ではしばしば別の人格が指導者となり,社会のヒエラルヒーとは別の,独立したヒエラルヒー・組織が立てられる傾向が強い。そこでは,真の人間は内面の信仰や悟りなど宗教の内面性として把握され,現実世界の価値を拒否,あるいは超越した人間とみられるようになり,聖なるものと人間との関係が現実世界のそれとは逆転している場合が多い。
古代都市国家を歴史的背景にもっている世界宗教では,現世拒否は同時に人間の行為はしばしば空しいものとされ,人間を隔絶した他界(天国・地獄)との関係で救済や悟りが説かれたが,近代になると,世界宗教は現世中心主義と人間の存在意義の強調と「自由」の追求とを大きな特徴としてもってくる(ジョセフ=M. 北川)。しかし,それは現実世界をそのまま肯定するのではなく,あくまでも現実世界と強い緊張関係を保ちながら,しかも他界を現世から超絶したものとしないで,現世内で活動をすすめていくのである。かつて世界宗教の3大課題であった神論・宇宙論・人間論のうち,人間論が中心課題となり,神や宇宙への関心は直接的なものではなくなり,人間論とのかかわりではじめて意義をもつようになってくるのである。存在意義は人間存在の無意味さの克服の問題として明確にとらえられ,普遍的なニヒリズムの問題が問われるようになる。また,「自由」の追求は,宇宙的・社会的秩序の維持をはかる態度としても追求されると同時に,そのような秩序から解放され,人間の自己実現をめざすこととして追求されるようになる。世界の状況が多元的になり,世界宗教は,個人化した人間の生き方・価値を肯定し,支える方向にある。
〔参考文献〕堀一郎監訳『現代の宗教学』1970,東京大学出版会