●青苗法 せいびょうほう
アジア 中華人民共和国 AD
中国で第2番目に施行された王安石の新法。【主旨】1069年(?寧2)。下層農民を大土地所有者の収奪から解放するため,政府の資金を貸す低利金融政策。市易法とともに周礼泉府の精神に準拠して社会政策的性格が最も強い。
【制定の由来】(1)それまでの社会政策的常平法が軍事費に流用されて目的を失っていた。(2)当時はかなり貨幣経済的条件が進んでいたので,陝西青苗銭の例によって現銭貸出しの可能性を認めた。(3)下層農民は高利貸階層から借金借財し,半期に100%から200%の利息(倍称の息)を取られ,農民は零細化し農村は疲弊し,社会秩序の破壊現象が顕著であった。
【制定者と青苗法条約】制定には制置三司条例司の検詳文字官呂恵卿・蘇轍・李常と編修中書条例官曽布らが参画したが,実際は呂恵卿の英断で決められ,拙速にはしりまた息銭を取ることなどが主因となって,新法党内に不協和音を招く大本になった。条文は青苗銭貸出しに関するもの,返還に関するものから,主旨・息銭・賞罰などに関するものなどおよそ40条くらいあった。それらのなかには客戸や坊郭戸に貸し出す条文などもあった。
【展開と保守派の妨害】募役・保甲・市易法などと異なり,王安石の意に反して条約の成立と同時に全国に施行された。展開の上で最大の特色は,保守党からの妨害がとくに大きかった点である。その理由は本法が大土地所有者や大商人の利益に大打撃を与えたからである。妨害者のなかには3代の皇帝に仕えた大元老のカンキ※注1※,王安石を抜擢しようとした欧陽修,王安石と地位を並べていた司馬光らがいて,妨害の活動・言辞は苛烈をきわめた。王安石も本法の施行を新法全体の成否を占う試金石とみなして,その貫徹に意欲を燃した。全体的評価としては旧法党のなかにも賛成者がおり,朱子も本法の精神に賛意を示している。〔参考文献〕東一夫『王安石新法の研究』1970,風間書房
東一夫『王安石事典』1980,国書刊行会
![]()