●青銅器 せいどうき
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中国では,殷代以前に青銅製の小刀や錐などが数個発見されているが,青銅器の発達したのは殷代以降である。とくに殷周時代には,世界に比類のない傑作がつくり出されている。青銅器には,容器・楽器・農工具・武器・車馬具などがあるが,礼器に優れた特色がある。礼器とは,儀礼を行うさいに用いられた多種多様な酒器(尊・壺・爵など)や食器(鼎・鬲・豆など)などであるが,形態が豪壮な上に,その多くは,四角い渦巻きの雷文の地に,饕餮(とうてつ)文などの怪奇な獣面の文様が施されており,高度な技法と芸術性がみごとに総合されている。鋳造技術は合わせ範(かた)によるもので,蝋がた法を用いたインダス文明や西アジア文明とは異なる。殷代の都城址に青銅器鋳造の工房が発見され,工人群の存在が知られたほか,鋳造する青銅器の種類・性質・用途に応じて,原料の銅と錫の比率を異にし,工人は専門分化していたことがわかった。これらの工人群は,所定の地区に居住して専門の仕事を世襲した職能集団で,殷王朝に隷属していたようである。青銅器の器面には,銘文が施されているものがある。図象記号は殷代周初の器に多いが,そのうち竜・鳳・象・猪・亀・鳥・魚などは,祖先神や土地神の具象化で氏族のトーテム記号といわれ,また亜・箙・冊・史・犬・馬などは,氏族の職能の標識といわれている。文章体の銘文は殷代晩期に現れ,製作の時期・作器者・由来などを記している。周代の青銅器は殷代のものを受け継いでいるが,礼器には,呪術的性格が薄れて儀式的性格に移り,さらに礼器から記念品的な器に変わっていった。その銘文も,すでにおこった事象を記録し,記念とする長文のものが多くなり,当時の史料として重視される。盂(う)という功臣に策命した記念の大盂鼎と,周王が老公に政治を託すという銘文のある毛公鼎は,周代青銅器の双璧といわれる。ほかに,娘の嫁入り道具としてつくったものや,自家の繁栄を願ってつくったものなどがある。殷周時代の青銅器は,王とその一族のものであったが,春秋時代から諸侯や有力者がつくるようになり,鍍金(ときん)や象嵌(ぞうがん)の新技法が用いられ,動物意匠が盛んになった。戦国時代には,青銅器のもつ儀礼的な面が薄れ,その形態も単純化し,写実的な鳥獣文・狩猟文・宴楽文がみられるようになる。漢代以降には,青銅器から怪奇さがぬけて,灯具・香炉・硯などの日用愛玩器が現れ,鏡が発達して,礼器に代わって主流を占めるようになり,容器類は一般に器形も文様も簡素となった。〔参考文献〕貝塚茂樹『中国古代再発見』1979,岩波書店
文物編集委員会編『中国考古学三十年』1981,平凡社
張光直『考古学よりみた中国古代』1980,雄山閣