●正統カリフ時代 せいとうカリフじだい
AD632
632〜661年にかけての時代をいう。預言者ムハマンドが,彼の後継者を指名することなく死去したのち,アラブ民族古来の風習であった選挙によって推戴されたカリフ統治の時代をいう。すなわち,アブー=バクル(632〜634)・ウマル(634〜644)・ウスマーン(644〜656)・アリー(656〜661)を正統カリフと称し,このことばはアッバース朝時代から用いられはじめた。学者によっては,選挙制カリフ時代,または族長的カリフ時代とも呼んでいる。イスラーム世界では,この4代にわたる時代の統治は預言者につぐ類例をみないほどのものとしている。確かに国家草創の生気あふれる栄光にみちた時代ではあったが,29年のあいだに,解決を迫られた大事件にも直面させられた時代でもあった。たとえば,ムハマンドの晩年に,その権威を認めたアラビア半島の大部分の地域では,没後にメディナ政権からの離脱を策したが,それの討伐によりイスラーム共同体の分裂を回避できたアブー=バクル,彼によって開始され,ウマルにより強力に遂行されウスマーンにも受け継がれた大征服と,それによる国庫収入の増加や征服地へのアラブ民族の移住などは栄光面の事例であった。しかしながらウスマーン治世の後半,ムスリム社会内部の不和,とくにカリフの一族・縁者偏重の人事に対し,また征服地駐屯の戦士たちの不満は,カリフの暗殺へと発展し,暗殺者らに推戴されたアリーも対抗勢力との抗争により,イスラーム国家最初の内乱(656〜661)を経験する憂き目にあった。この第1次内乱の終結は,同時に正統カリフ時代の終幕であった。なお,この時代にアラブ民族が,ビザンティンやペルシア先進的文化を取り入れ,征服地の軍営都市に戦士としてのアラブ遊牧民が定住を開始したことは,その後のイスラーム文化発展への貢献として注目すべきことである。