●清談 せいだん
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中国魏晋時代に流行した哲学的談論。後漢末に儒教的名教の基準から選挙の人物を評する清議がおこり,魏初に,政治的言論に対して弾圧が加えられたため,清議の政治性がうすれて,論理を駆使する高踏的形而上学の談論に変容して,清談が成立した。清とは世俗の濁と違って清と感じとれるものならば老荘的なものである必要はなかったが,儒教的現実とは異なる自由や無といった老荘思想がテーマとして好まれ,論難を交互に行い勝負を決する形式をとるようになった。何晏と王弼が無を談論した正始の音が流行の初めとなり,西晋では王茹(おうえん)・王澄・胡母輔之(こむほし)らが代表格であり,郭象は『荘子注』のなかに老荘の論理を大成した。東晋になると,官界に貴族が地位を保ち,清談は出世のための教養と化し,建康や会稽に清談の花が開き,仏教の理解も清談的に行われ格義仏教と呼ばれた。なお清談には,脱俗的知識人の範囲内において,老荘の無為の立場から君権の有為の発動を抑えて貴族の自由を保持する側面があったと考えられ,政治担当者としての貴族が清談にふけることには,清談亡国論などの批判が出されてくることとなった。