●西太后 せいたいごう
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1835〜1908(道光15〜光緒34) 清朝の文宗咸豊帝の側室。同治光緒年間事実上政治を独裁した。満州旗人エホナラ氏の出身。幼少にして五経を誦し,廿四史を読破。才色兼備の女性であったという。18歳で咸豊帝の後宮に入り,帝の寵愛を受け同治帝を生み,皇后に次ぐ妃の位につく。同治帝が幼少で即位すると,恭親王奕訴・慈安太后(文宗の皇后)と結んで怡親王載垣らの勢力を退け,政権を握った。慈安が東の綏履殿に住んだのに対し,西の平安室に住んだので西太后という。曽国藩・李鴻章らの協力を得,同治中興の安定期を導き出した。同治帝の没後,妹婿の子を光緒帝に立て,宮廷の守旧派官僚と結び引きつづき政権を握った。以後日清戦争では李鴻章を用い極力開戦を避け,1898年(光緒24)の康有為らの戊戌変法では改革派を弾圧して光緒帝を幽閉した。1900年(光緒26)には義和団を扇動して8カ国連合軍の侵攻にさらされ,辛丑和約により「洋人の朝廷」にされるなど保守政治の中心人物であった。1908年(光緒34)光緒帝の死後,没した。
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