●清少納言 せいしょうなごん
アジア 日本 AD966 平安時代
966年(康保3)ごろの出生か。歌人清原元輔の娘,本名諾子(『枕草子抄』)という説もあるが明らかでない。橘則光・藤原棟世・理能・実方などが結婚の相手という説もあるが,則光とのあいだに則長が生まれているから,彼は妥当であろう。一條天皇の中宮定子に宮仕したのは991年(正暦2),992年(正暦3),993年(正暦4)の説があるが,正暦4年説がよい。1000年(長保2)12月,定子の崩御まで宮仕をつづけたが,その後は明らかでなく,東福寺付近の月輪(今の泉涌寺近く)に住み,定子の生んだ敦康親王・脩子内親王に仕えたという。著書『枕草子』は自然・人事・史実などに敏感な作者の感情がよく書かれており,秀逸である。と同時に定子・一條天皇・定子の父道隆・伊周などの行動が細かに書かれている。当時,中関白家(道隆・定子一家)は,すでに没落期にあるが,そのあわれな状態はほとんど書いていない。これがまた,『枕草子』の特徴ともいえよう。和歌集として『清少納言集』がある。〔参考文献〕岸上慎二『清少納言伝記攷』1943,畝傍書房,1958,新生社