●政商 せいしょう
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明治のジャーナリスト山路愛山(弥吉,1864〜1917)が『現代金権史』(1908)で命名した言葉で,一般に,明治政府が民間産業を育成しようとするとき,官僚と結託して利益をむさぼる政治的商人をさした,ジャーナリズム用語であるが,大正期・昭和期・現代にも使われ,学術用語にもなっている。【政商論】愛山は前掲書中の「政商論」の項目で〈政府自ら干渉して民業の発達を計るに連れて自ら出来たる人民の一階級あり。我等は仮りに之を名づけて政商と云ふ〉とし,これは〈明治の初期に其時代が作りたる特別の時世に出来たる,特別の階級〉であり,中国・日本の辞書にも〈無き名なり〉とした。そして,愛山は,政商を幕末の御用商人とは断絶した,武士階級のうち〈商売は士族の宜しく営むべき所なり〉と思い込んだ階層で,それを政府が捉えて近代日本の発展のための道具として使ったとした。この愛山の「政商論」は,およそ政商とは何か,について論じた後代の研究に影響を与えた。すなわち,土屋喬雄『日本資本主義の経営史的研究』(1954)は三井・三菱(岩崎)・住友などとその最高幹部や維新の風雲を衝いてでてきた政商の大部分が武士,もしくは準武士層から出現したことを証明できたとした。逆にヨハネス=ヒルシュマイヤー『日本における企業者精神の生成』(1965)は,明治の企業家が士族・町人・農民3階級から驚くほど均等に出ているとし,政商は同時に積極果敢な企業家で,その時代が生んだ子とした。さらに楫西光速『政商』(1963)は政商はその言葉のニュアンスから資本主義の初期の段階に特徴的で,何らかのかたちで特権的な保護を受け,殖産興業政策の線に沿って巨大な資本蓄積をなしとげた者をさし,商業高利貸資本家だけではなく産業資本家も含めるとした。そして次の類型化を行った。
【政商の類型】第1の型……旧幕時代からの特権商人で維新後も発展した者,三井・住友・鴻池。第2の型……動乱に乗じ,徒手空拳で,出身は概して低い。岩崎を典型として,安田・藤田・大倉・浅野・古河・川崎。第3の型……明治政府の官僚から転じ,政商の世話役的役割を演じた者。渋沢・五代。では,代表的な政商の動きをみよう。三井(幕末の当主は高福)は幕府の十人両替の一人であったが,鳥羽・伏見の戦いを転機に薩摩陣営にあった大久保利通に軍資金を提供,新政府への乗り替えを行い,維新後,御用為替方を命ぜられ官金を扱い,三井銀行と三井物産を設立,初めは地租改正米を,のち官営三池炭鉱の石炭を取り扱いついに同鉱の払い下げを受けるにいたり,銀行・物産・鉱山を三位一体として財閥を形成した。三菱の創始者,岩崎弥太郎(1834〜85)は土佐の貧しい地下浪人の子の出身で廃藩置県のさいに藩から船舶の払い下げを受け,蒸気船会社を設立,台湾出兵・西南の役の軍事輸送に働き,大久保内務卿から海運補助を受け,外国海運会社を撤退させ,ついに高島炭鉱の買収,官営長崎造船所,佐渡・生野金銀鉱山の払い下げを受け,三菱銀行を設立。三井同様,総合財閥に発展した。
【政商と官業払下げ】住友も幕府から請け負っていた別子銅山を維新の混乱のさい,住友の私有としてしまった。以上にみるように,政商はたんに政府のもつ利権あさりで大きくなったのではない。殖産興業政策,なかでも官業払い下げと結びつく産業資本家とし“政商を越えた政商”であることに注目しなければならない。第2の型のうち,安田善次郎(1838〜1921)は幕末維新の幣制混乱を利用した両替商として金融財閥を築き,興業政策とは関連するが払い下げとは関係はない。しかし,藤田善三郎(1841〜1912)が小坂銅山を,大倉喜八郎(1837〜1928)が札幌醸造所を,浅野総一郎(1848〜1930)が深川セメント製造所を,古河市兵衛(1832〜1903)が阿仁・院内銅山を,川崎正蔵(1837〜1912)が兵庫造船所の払い下げを受け,継続させたことは政商はその産業の経験者・経営技術の保持者であったといえる。
〔参考文献〕楫西『政商』1963,筑摩書房
小林正彬『日本の工業化と官業払下げ』1977,東洋経済新報社
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