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●政治史 せいじし

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 政治史の名で呼ばれるものの一つは純粋に政治の歴史である。それは美術史・音楽史・建築史などと同様に,方法論としてほかの要素を考慮することはあっても,目的は政治の歴史を追っていくことにある。それに対して,近代歴史学の流れのなかで出現してくる政治は文化史・社会史・制度史などと呼ばれるものに対するもので,歴史一般が政治のなかに集約されると考え,政治を中心にして歴史を組み建てるものをさしていう。その意味では,政治史学派というべきもので,歴史把握の仕方にかかわってくるものである。近代歴史学成立以前にあっても,政治史は歴史叙述に多くみられ,さまざまな批判を浴びながらも現在なお,歴史学の普遍的形態であると考えられている。

【ランケ】ランケ(1795〜1886)の史学はいくつかの特色をもっているが,そのなかに政治史的であることをあげられる。彼の作品の多くは世界史的観点から書かれながらも,個別的な国家を対象にしており,国家は個性的な生命原理をもち,個人や民族が国家に緊密に結合すべきものであると考えた。この思想からでてくる歴史観には,彼が「政治・歴史雑誌」を編集し,現実の政治に関心を示したり,現象としての政治を歴史的に追っていくという以上に政治史的であったといえる。ランケにおける政治とは,現実性を精神化した国家の表現であり,それはさらに相互的関連をもって世界を形成し,時代の指導理念を生み出すものとされていた。

プロイセン学派】ランケが教鞭をとったベルリン大学を中心としてランケ史学は引き継がれていった。ドロイゼン・J.モムゼン・T.ジーベルらがこの時期を代表する歴史家である。ランケが実際政治から離れていき,しだいに思索と著述の生活に入っていったころ,プロイセンは国家発展の一定段階に達した。1848年の三月革命,オーストリアとの対立などは,その結果として遭遇するものであり,やがてビスマルク時代に入るとドイツ統一を課題としてきた。ビスマルク時代を代表する歴史家はトライチュケ(1834〜96)である。彼らの歴史学は必ずしも主観的とはいえないが,現実を背景にして政治的に歴史をみ,プロイセンを歴史学の立場から支援することになった。これらプロイセン学派を形成した歴史家は,ドロイゼントライチュケが議員になったことでもわかるように,政治そのものにも関与しだした。たとえばジーベル(1817〜95)はランケの客観主義と袂を分かって小ドイツ主義に立ち,ドイツ皇帝のイタリア政策論争を開始し,国内では文化闘争において,中央党を攻撃するようになった。トライチュケも〈国家は力なり〉とする国家論を展開し,反イギリス的立場をとった。

マイネッケ,(1862〜1954)】政治的ではあるが,国家的情熱をもった世代のあと,20世紀の初めにかけて歴史学の職人の時代とでもいうべき時代が訪れた。この世代の最後に属しながら,無気力に陥った政治史を救済しようとしたのがである。彼は現実を単に可視的な現実とはとらえず,その背後にある理想追求を含めた現実と考え,精神史的政治史ともいうべきものをつくっていった。『世界市民主義と国民国家』に示されるものは矛盾の結合であり,国家理性を究明することにいたった。

 政治史は,ともすれば上からの歴史の解明になりがちである。歴史はそれぞれの時代に生きた人間の活動によってつくられると考えると,下からの歴史の解明が考えられ,その立場から行う政治史への批判は,古くして新しい。マルクス主義のように人間生活の基礎を物質とし,その弁証法的発展を歴史とすれば,経済史ないし社会・経済史の立場となるし,最近,アナール学派の影響のもとに出現してきた社会史や古くから存在する文化史などもそれぞれの立場で歴史の真実の把握を追い,政治史への批判を含んでいるものといえよう。

〔参考文献〕ヴェーラー編,ドイツ現代史研究会訳『ドイツの歴史家』未来社