●政治協商会議 せいじきょうしょうかいぎ
アジア 中華人民共和国 AD
1945年8月,日本が降伏したあと,それまで事あるごとに対立していた国・共両党は,内戦の不拡大と和平建国を望む中国共産党の呼びかけによって重慶で国共調整の会談を開いたが,その結果,開催が決定したのが政治協商会議である。この会議は翌1946年1月,同じく重慶で43日間にわたって行われたが,その目的は中国国民党の一党独裁をやめさせ,中国共産党をふくめて各党・各派連立の連合政府を樹立し,憲法制度の国民大会を開き,立憲民主政治の確立をめざすことにあった。会議には中国国民党・中国共産党をはじめ中国民主同盟・中国青年党・無党無派からそれぞれ8,7,9,5,9の割合で計38名の代表が参加し,「和平建国綱領」を採択して政治の民主化・軍隊の国有化・党派の平等などをうたいあげ,国民大会の5月開催を決定した。これは国共関係史上の画期的な出来事であり,国民のすべてが期待していることであった。しかし,中国国民党はその実行段階においてつぎつぎとこれに違反し,この年3月,ソヴィエト軍の東比(旧満州)撤退が始まるや大軍を擁して東北にのりこみ,瀋陽とその周辺を占領したばかりか,内戦の準備を進め,国民大会の開催を一方的に延期することを宣言,会議の決定は空文化された。政治協商会議が改めて提唱され,その精神が実行されるのは,内戦の帰趨がはっきりし,中国共産党軍によって北京(ぺきん,当時はぺいぴん=北平といった)が解放されて以後,1949年に入ってからである。政治協商会議は人民政権下の現在でも存続し,機能している。