●政治学 せいじがく
AD
政治現象を対象とする社会科学の1部門。政治とは社会に対する諸々の価値の権威的配分を意味し,価値配分をめぐる差別被差別を本質的に内包している。権威を頂点にした究極的な一元的秩序の範囲の設定,対象範囲の人々に対する実質的同質性=価値の保障(対象範囲外には十分な価値を保障しない),個々人のエネルギーの体制範囲内への継続的な吸収をめぐる諸問題が政治の焦点となる。つまるところ,支配の正統性の根拠である権威の実質と,それによる社会包摂化をめぐる問題が“政治的なるもの”となるのである。【政治学への視点】政治学は“政治的なるもの”の本質を何に求めるかによって規定される。一般的には政治に固有な契機として,[1]政治の目標価値(自由・平等・友愛・正義など),[2]政治の手段(物理的強制手段・民心操縦技術など),[3]政治の機能(利害の調整配分・秩序の統合統制など)があげられるが,その複数の選択とウェイトのかけ方によって特殊政治的なるものの本質が限定づけられる。したがって,その本質規定によって政治学も方法と認識対象を規定され,学問の構造や範囲が決定されることになる。たとえば,目標価値にウェイトを置く政治学は,政治的共同体=秩序の目的やありうべき規範を対象とすることによって,規範的分析方法に立脚し,倫理学・哲学と不可分な領域をもつ。また,政治手段や政治機能にウェイトを置く政治学は,政治現象の相互連関や法則性を求める経験的分析方法に立脚して,客観的レベルにおける機構や権力構造から,主観的レベルにおける人間的な行動過程までを対象範囲とする。いずれの場合も,本質規定の限定性が厳密になればなるほど政治学は純化し特殊な体系性に近づくことになり,規定幅が大きくなればなるほど混合的な包括的学問構造を有するものとなる。しかし,本質が何であれ,政治現象が価値配分をめぐる上での現象である以上,いずれの場合でも争点あるいは前提とされる価値がいかなる社会的立場からのものかを認識する必要があり,正しい政治認識は,現象に付随する階級性などイデオロギー批判を伴って初めて確定されることになる。しかも,政治的主体の社会的立場,それに規定される価値,その実現手段と社会的機能は,すべて歴史的段階と状況において実質を異にするものである。政治学は歴史的な政治そのものの,質における“純化※注1※混合化”と,量における“極大※注1※極小”の二極間に存在する位置によって,大きく規定づけられることになる。
【近代政治学の成立と展開】近代政治学の成立・展開・転化のプロセスは,マクロ的にみれば,政治の混合化から純化へ,そして純化から不純化=混合化へのサイクルとしてとらえることができる。ギリシアにおいては,ポリスの共同生活は全員の共同参与によって営まれ,そこでは政治は共同生活そのものであって,経済・宗教・教育・文化活動などあらゆる人間活動と不可分なものであった。特殊政治的なものの限定は不可能であり,それゆえ,政治学は倫理学や哲学などと不分離一体の包括的なものであった。こうした包括性はすべてが神学に包摂された中世においても同様であった。人間の自然的な身分制社会秩序がそのまま連続的に規範的な神学的秩序とみなされ,現実にかかわる政治もその固有性をもちえず,政治学は神学の制約下に不分離一体のものとして存在した。しかし,宗教革命をへて,政治学は倫理学・神学および封建制の桎梏から脱却していった。神とその秩序を絶対化し,その領域を人間のレベルを超えた超理性的・非合理的な信仰領域として切り捨てることによって初めて,人間の理性的認識はもっぱら経験的・感覚的・現実的な領域にむかうことになった。ここに自然(人間世界)と規範(神的世界)の連続性が分離され,政治をも含めて社会的・文化的諸価値の固有な世界が解放され,リアルに認識されることになったのである。
近代政治学は,現実の人間世界が神学から解放され,さらに人間世界から政治が固有の公的なものに限定・純化される過程で成立した。それは17〜18世紀を典型期とする近代資本主義の重商主義段階に対応する。いまだ資本主義が自立できず,中央集権的な絶対主義国家の介在を必要としていたため,政治と経済は未分化の状態ではあったが,政治学は台頭する新興市民階級を背景にその私有権保護を契機として生まれた。典型的には17世紀イギリスのホッブスやロックの自然法理論=社会契約説があげられる。それは,交換・分業の資本主義社会(市民社会)を前提とし,その未成熟な交換社会秩序を,理性=自然法にもとづく契約による共通の権力=市民政府(政治的国家)設立によって保障しようとするものである。ここでは自然法は体制形成のための理論的武器として到達すべき理念として存在している。しかし,18世紀において市民社会が成熟し自律性を増してくると,社会科学の関心はもはや市民社会のための体制形成論ではなく,アダム=スミスにみるごとく,体制を前提とした市民社会・政治的国家そのものの自然史としてのメカニズム分析に移行していく。
近代政治学の展開は,政治が最も純化され極小化された段階のもので,19世紀中葉を典型期とする資本主義の自由主義段階に対応する。市民社会が資本主義の独自法則によって自立し自己展開する段階にいたって,政治は経済から排除された。国家はもはや資本主義の自己運動を内側から支える必要はなく,むしろ介在はかえって資本主義の自己運動を阻害することになったのである。自由主義国家の政治は,資本主義の自律的運動を阻害する要因を外側から排除するという消極的な意味しかもたない。これはひとり経済との対応関係にとどまらない。市民社会の成熟に伴う社会的・文化的諸領域の分化と自律化とも対応する。近代国家は,カール=シュミットのいうごとく,真理や道徳とかの内容的価値の選択と判断に関して中立的立場に立ち,それゆえ政治は市民社会の諸活動を外側から保障する,兵営警察機能に極小化されたのである。典型的には,ベンサム・ミルの功利主義およびスペンサーの社会進化論がこの期の政治学に相当する。これらの経験科学としての政治学は,ベンサムが精神・社会科学におけるニュートンたらんとした点に象徴されるように,自然科学的=法則定立的方法と合理主義精神を,人間と社会(政治体と経済体)の歴史的・経験的事実に適用したものである。しかし,政治が近代国家=消極国家の機能領域への限定を前提としていたため,ベンサムやミルの代議制度論にみられるように,対象は国家機構論の範囲にとどまった。
【現代政治学への転回】自由主義段階を経過すると政治の純化と極小化は,逆に不純化=混合化と極大化へとベクトルを変え,近代政治学もそれに対応して大きく転回した。それは19世紀末〜第一次世界大戦を古典的典型期とする資本主義の帝国主義段階に見合うもので,これ以後“政治化の時代”といわれる20世紀的現代と現代政治学が登場することになる。この段階においては,資本主義の独占化がすすみ技術の高度化・規模の巨大化が進展し,生産力が飛躍的に拡大するとともに,それを担う大量の労働者が普通選挙権運動など諸々の大衆組織運動によって政治的・社会的次元に進出してきた。大衆サイドにおける社会的立場の相違から利害の対立が激化し,生活上の福祉要求も拡大してきた。彼らは利害と要求の多様化に応じて種々な職能集団(労働組合・農業組合・消費組合など)や宗教・文化団体を結成し,急激な工業化に生活不安を募らせている労働者階級同士が連合し階級闘争を行い,社会主義への参入をはかろうとするにいたった。いわゆる大衆集団の噴出と階級闘争の激化の大衆社会状況である。独占資本のみによる資本主義体制の自律的維持と組織化=包摂化には限界があり,ここに国家が総合的な社会政策など価値の再配分のために,再び経済等の領域に介入しなければならなくなったのである。
社会主義体制の出現を背景として,上記のごとき資本主義の内部構造の変化・社会形態の変化に対応して政治過程も大きく変わってきた。[1]国家は,利害対立の調整と秩序の統制要請に対応して権力と機能を拡大し,単なる消極的な立法国家から,積極的な行政国家へと転換した。しかも,大衆社会状況下での平準化に伴う個々人の異質性の喪失によって,公私領域の質的区分は解消され,権力があらゆる領域に浸透することになった(ここに,一連の批判的国家論の成立基盤が見出される)。[2]しかし,国家の一方的な社会包摂化だけが現代政治の特質ではない。権力が浸透することによって,大衆の職能的社会集団が国家権力と直接接触し逆に圧力をかける,という相互規定的関係を成立させた。政治の場とダイナミズムが飛躍的に拡大したのである(政治過程論の成立基盤はここに求められる)。[3]公私領域の解消は,また国家権力が個人の私的領域まで浸透してくることを意味するが,逆にいえば,国家が正当な権威として大衆の心性に受け入れられ支持されなければならぬことを意味する。主体的で合理的な19世紀“市民”に代わって,受動的で非合理的な20世紀“大衆”の登場は,国家による政治的動員など包摂化の技術をマス=メディアを媒介とする形に転換した(政治行動論の成立基盤はここに求められる)。
【現代政治学の展開(1)−−多元的国家論と新カント派】大衆社会状況とそれによる政治過程の変質,の受け止め方と,対象の細分化によって,現代政治学は多岐に分かれる。まず,[1]の強い国家の出現に対して,批判的な受け止め方をした典型的な政治学として,多元的国家論(政治的多元主義)と新カント派の政治学があげられる。20世紀初頭の多元的国家論は,各種集団の自主的権威の存在を根拠にして,“原子的個人対国家”の対局関係を“集団自主権対国家”の図式に置き換え,集団自主権によって国家権力を牽制しながら,大衆の自由を自らの集団によって獲得するルートを設定した。国家も本来社会的機能集団の一つにすぎず,それゆえ社会諸集団の上に君臨し全能的に統制する正統性はない,として国家主権の絶体性を否定した。個別主義的自由から連帯主義的自由への自由原理の修正を試みた新自由主義ホブハウスとともに,近代自由主義の20世紀的修正に当たる。デュギー・フィッギス・バーカー・ラスキ・コールなどにみられる。政治を国家のみに特有の現象ではなく,国家外現象でもあると拡大化したが,逆に政治権力の固有性を不明確にすることにもなった。新カント派にもとづく政治学は,政治を文化現象としてとらえその普通妥当性を前提として,政治の自律性=純粋形式を追究した。政治学の領域は,方法が対象を規定するとされることから,認識主体の価値と構成を前提として確定された。価値中立的な純粋政治学を形成しようとしたものである。それだけに学の精密化の反面,客観的実在から遊離していくことにもなった。しかし,政治の極大化と不純化=混合化という現実に対して,政治の固有性を対置させ国家の拡大に批判的な立場をとったということができる。政治を国家外現象として国家枠から解放する方向は,19世紀ドイツのグンプロヴィッチ・ラッツェンホーファー・オッペンハイマーらの社会学的国家論にもみられた。多元的国家論と同様,政治を集団の相互作用としてみ,経験科学的に分析しようとしたもので,のちの政治過程論に影響を与えた。
日本における近代政治学は,未熟ながらも市民社会の形成を背景として,第一次世界大戦以後ドイツ国法学・国家学からの解放と政治学の自律性を求めて形成され,おもに多元的国家論による長谷川如是閑の国家主義批判,社会学的国家論による大山郁夫の政治過程論,吉野作造の主権の所在と運用を区別した立憲政治論としての民本主義論などが展開された。また,大正末期から昭和初期にかけては,新カント派にもとづく純粋政治学の可能性を求めて,政治概念を国家概念から解放しようとする政治概念論争も展開された。しかし,市民的自由と市民社会の成熟を前提とする政治学は,市民社会が未成熟な国家では,ファシズムの権威主義国家による自由の抑圧・自生集団の解体と国家への包摂化によって,現実的立脚基盤を失うことになり,本格的な展開は第二次世界大戦後に持ち越された。
【現代政治学の展開(2)−−政治過程論と政治行動論】次に[2]の大衆集団の噴出と社会的相互作用を対象とし,その政治的機能を究明したのが政治過程論である。政治的多元主義を価値中立的・実証的レベルに移したものといえる。社会の機能分化に伴って,国民の意思を統合し政策に収斂していく場が従来の地域別代表にもとづく“政党−議会”から行政機関に移行し,広く機能別諸集団の主張をも組み入れなければならなくなったことを背景としている。政治を国家外現象にまで解放し,社会的レベルから政治的意思の形成される過程や,政策が決定・遂行される過程を追うものであり,政治権力の社会的基盤と,多様な集団間の“圧力と抵抗”のダイナミズムを実態的に分析することになった。政治学は,立法と行政のプロセスなど政治機構論・制度論の静態的分析から動態的実証科学へと大きく転換したのである。この転換は,自然科学に範をとって集団の生きた過程分析を説いたベントリーの『政治過程論』(1908)を先駆として,1920年代以降とくに50年代のトルーマン・キーによって,アメリカ政治学の主流的関心となった。政治過程が政治循環のおのおのプロセスを追うものであることから,具体的には選挙民・大衆運動・圧力団体による利益・要求の表出と支持,官僚・政党による利益・要求の統合,メディアやオピニオン=リーダーによるコミュニケーション,統治機構内部での政策法案の作成(議会)・運用(行政府)・裁定(裁判所)などの諸機能が対象となる。そして,これらをイーストンのように総体として体系化すれば,環境からの要求・支持のインプットが政策・決定のアウトプットに転換し,それを次の入力にフィードバックするという政治的循環となり,集団相互の政治的均衡体系論(政治システム論)を成立させることになる。これは政治学における一般理論の構築を志向するものであり,後述の政治行動論と結合して実証的で数量的な比較政治論(G.A.アーモンド)が切り開かれることになった。しかし,これら政治過程論や政治体系論は,一定の政治システムの安定的存続を前提にしており,システムそのものの政治的変革の問題を排除している点に問題を残している。マクロな政治過程論に対して,現代実証主義政治学のもう一つの柱がミクロなレベルの政治行動論である。上記[3]における,大衆の外面的な行動や内面的な心性とのかかわりで政治諸現象を解明しようとするものである。大衆社会状況における大衆の態度は,積極的な政治化の方向だけではなく,非政治的・政治的無関心の方向にむかうことも必然的である。社会機構の拡大と進行する社会分化のもとで,専門的で複雑な理性的調整能力をもたねまま放置された大衆にとって,アクティブな関心の懐きようはなく,自律性の喪失と無力感・疎外感を累積させることになる。そして,社会的不安の激化と情諸的結合への渇望しだいでは,政治権力による高度な民心操作を媒介として,ファシズムの権威に自らの不安救済を託すことにもなる。大衆の非政治的態度・政治的無関心そのものと政治的状況下での意味,またその受身的で情緒的な政治行動への転化など,人間心理の深層からの行動解明を含まなければ,大衆を主体とした現代の政治状況と機能を動態的に究明することが困難になったのである。先駆的にはイギリスのウォーラス『政治における人間性』(1908)での,政治行動分析における心理的諸要素への注目と統計的方法の採用があるが,決定的には1920年代半ば以降のメリアム・ラスウェルを始祖とするシカゴ学派によるところが大きい。行政官の経験のあるメリアムは,人間の態度を核とした政治現象の分析方法を説き,心理学・精神医学・統計学・社会学を利用する“政治学の科学化”への転回を試みたが,それは同時に実践的現実政策科学としての体系化を意味した。またラスウェルは,政治学にフロイドの精神医学を導入して,政治的パーソナリティの研究を切り開いたほか,世論・宣伝などコミュニケーションと大衆操作の問題,政治的神話・象徴の比較,大衆の投票行動様式と選挙結果などを対象とした。政治行動論の領域は第二次世界大戦後,行動科学の進展でますます精緻な数量的操作道具や理論仮説の設定がすすみ,その実証と政治体系のモデル化や比較化が試みられている。しかし,価値中立を前提とした(実質的には特殊アメリカ民主主義体制を普遍的基準としている)政治行動の規則性の数量化による説明と予測というあり方に対しては,権威の実質にかかわる価値判断排除に対する根本的批判と,精緻なミクロレベルの行動分析からマクロな政治構造レベルに媒介されうるかどうか疑問が投げかけられている。
【政治学の現代的課題】大衆社会状況の成熟とともに展開してきた現代政治学も,今日では有効性を喪失しつつある。古典的帝国主義段階の政治の不純化=混合化と極大化傾向は,第一次世界大戦後とくに1930年代以降の国家独占資本主義局面における,通貨管理と全面的な景気維持調整政策など,国家主導による資本主義体制の内側からの再組織化=包摂化によって,さらに専門化・総合化・管理化と次元を高度化してきている。近代の極北にある現代の国家は,“権威=支配の正統性の根拠”を,もはやファシズムにおける神=人格や,民主主義下の抽象的象徴(自由・平等)にでもなく,私的利益を経由しつつ技術合理性そのものにまでいたらしめた。多様な人間と社会は,生産効率を至上とする技術合理的体系のなかに,操作と管理の対象として包摂されてしまったのである。いわゆる生産と交通の巨大な組織を国家によって領有することになった“権威主義国家”の展開である。しかも,その政治の様相は,ファシズムにみられた古いタイプの権威主義国家のようにハードなものではない。民主主義を前提として一定の多様な自由さを許容し,反体制集団をも体制補完の要素として組み入れるという柔らかな支配構造を成立させている。現代政治学における,政治的多元主義の集団的・地域的多様性に立脚した国家批判も,国家の拡大を前提とした補完的な多様性として体制内に組み込まれ,また価値中立的な政治的実証分析も,政治の支配性に対する批判的認識を欠落させた形式合理性ゆえに,支配の技術的操作道具のなかに飲み込まれてしまって方向性を失ってしまっているのである。現代政治学は政治の機能する“場”の認識を欠落させているために,それがけっして普遍妥当性をもつものではなく,実は,特殊西欧とその機械論的人間中心の世界像に支えられたものにすぎず,非西欧的世界や生態系とのバランスの犠牲の上に存立していることに盲目的なのである。これからの政治学は,政治の指標を提示する役割を回復し新たな地平を切り開こうとするものである限り,ファシズム的権威主義も近代民主主義も一要素として飲み込んで高次な支配をすすめている,今日の重層的な権威主義国家の止揚と,近代文明・科学そのものの止揚とを不可避に結合するような根源的で構造的な試みでなければならないのである。
〔参考文献〕丸山真男『現代政治の思想と行動』増補版,1964,未来社
蝋山政道『日本における近代政治学の発達』名著の復興7,1968,ぺりかん社
![]()