50音順    検 索

●生活学 せいかつがく

アジア 日本 AD 

【生活学の提唱】生活学が初めて唱えられたのは,今和次郎が「大阪新聞」(1951年2月11日)に発表した「生活学への空想」という短文によってである。そのなかで今は,これまでの生活研究は,経済学や社会政策学の分野でなされてきたが,そこでいわれる生活の概念は,労働力の再生産としてとらえられているもので,生産に従属した生活であり,経済学に従属した生活論にすぎない。生活は,労働だけでなく,休養・娯楽・教養などによって成り立っているものであるから,それぞれ独立した休養論・娯楽論・教養論などが必要であり,その観点から逆に労働をみなおし,これらの総体のうえに,一本立ちした生活学を主張したのである。これとはまったく独立に,中鉢正美も『家庭生活の構造』(1953)の「序」で,生活学を提唱した。中鉢の生活学は,家庭生活において人間の労働力が,個体的および世代的に再生産される過程を研究する科学であり,人間生態学によって労働生理学と社会心理学を統一することにより,経済学とともに近代社会の総過程を明らかにするもので,相互に有機的な関連をもった生活環境論生活構造論生活実践論の3分野から成り立つものとして構想されていた。中鉢は,生命と社会とのあいだの領域に,一つの科学が欠如してしいるとし,それを生活学と名づけ,将来大いに発展して在来の社会学に代わり,経済学とともに諸々の社会科学の基礎を支えるかもしれない,と考えていた。今が,これまでの生活研究は,生産の側からのみみて生活の側からとらえられていないとして,旧来の学問を,いわば逆転させる立場から生活学を提唱したのに対して,中鉢は,現在の学問体系そのもののなかに大きな隙間があるとし,それを埋めるものとして生活学を主張した,といえる。現在の生活学はここの両者を受け継いでいるが,より強く前者を基本としており,中鉢は,これを時間軸・空間軸にわたって生活体系を統一的に研究するもので,在来の生活研究が,経済学を基礎とするディジタルな分析を主とするものであったのに対して,生態学やデザイン論に立脚するアナログな分析に重点をおくもの,としている。このように1950年代の初め,二人の学者によって生活学が提唱されながら,ほとんど放置されたままになっていた。生活学という言葉が,再び登場するのは,約20年後に日本生活学会が創立されてからである。このあいだの60年代が,高度経済成長の時期であったことは,おそらく偶然ではないだろう。

【生活学成立の背景】産業革命の結果,生産(労働)と生活(消費)とが分離し,生産は生活を犠牲にすることによって発展してきたところから生活問題が発生し,これを解明するため生活研究は,19世紀のヨーロッパにおこり,日本では大正期に高野岩三郎・森本原吉・権田保之助らによって始められている。それが一つの結実をみたのは,大河内一男の『国民生活の理論』(1938)・永野順三の『国民生活の分析』(1939)・篭山京の『国民生活の構造』(1943)など第二次世界大戦下の業績である。もともと民家研究の開拓者で,都市風俗を調査する考現学を創始し,生活改善の実践家でもあった今和次郎は,これらを受け継ぎながらも,生計費や生活時間による数量的な分析にとどまって,生活の質的な内容をとりあげないことに不満をもち,日本経済,そして家計が戦前の状態に回復した時期に,これからは質の問題だとして生活学を唱えたのである。しかし高度経済成長が,1960年(昭和35)の所得倍増計画に始まったことに象徴されるように,それにつづいたのは量の拡大の時期であり,それももっぱら生計費の増大であり,『生活白書』が余暇の増大をようやく訴えたのは,石油ショック後の1973年(昭和48)になってからである。そしてこの過程で,都市への人口流入や家庭用耐久消費財の普及・消費財の普及などによって,サラリーマン家族をモデルとして生活様式のいわゆる画一化がおこり,国民の8割までが中流意識をもつという平等化がなされた。それぞれかつての生活は,地域・職業・階層によって個々に異なっており,その研究は,農民の研究であり,貧乏人の研究であって,生産や経済学に従属したものにならざるをえなかったのであり,今が構想したような生活そのものの研究にはなりえず,その画一化・平等化が初めて生活学の可能性をもたらしたのである。しかしこのことは,以前は労働者など貧困層のものであった生活問題を一般化したともいえ,そこに生活学の必要性を生みだしている。

【生活学の課題と方法】かつて人々は,慣習に従って暮らしていたが,今ではその伝統は失われた。またかつての生活様式を規定づけていたのは,生産であった。この生産は,物資の生産と再生産であり,消費とされていたものにこそ,生命の生産と再生産を営むものだとして,それが生活と呼ばれるようになったが,かつてはこの生命の生産と再生産も,生産のための労働力として,その維持と拡大の重要な源泉として,時代的・社会的な制約があったものの,それなりの秩序をもって営まれていた。現代の生活を,慣習に代わり,あるいは生産に代わって規定づけるものは,いったい何なのであろうか。しかも価値観の多様化が,その発見をいっそう困難なものとし,人々は非常に変化の激しい社会のなかで,生活の自己同一性を孤立して自ら追求しなければならない状況にさらされている。そのうえ,生活領域は大きく拡大した。昔は,家族と共同体のなかで営まれていた生命の生産と再生産を,現在では,教育・文化・福祉・医療など種々の公共的・社会的な施設に負うようになっており,家事の多くも,さまざまなサービス産業に移行され,家庭に多種多様な生活財を送りこむ生活関連産業も含み,これからは行政の仕組みや企業利益の追求のもとになされ,生活者の側からつくられてきたものではなかった。これらは生活の文脈を,まことにみえにくいものとし,人々はそのなかで自らの位置・役割を見失いつつある。ただ,そのなかに浸っているから明確に意識できないだけである。もともと日常生活は,公共的に自明なものとされ,その前提に立って政治・経済・学問などあらゆる社会活動は,行われている。ところがその前提が揺らいでいるのだ。最近発生している社会問題は,ここに由来しているだろう。生活学は,この認識の基礎である生活を解明しようとするものであり,科学,とりわけ社会系・人文系諸科学の基礎学であるとともに,新しい生活を創造するための生活設計の学でもある。

【生活学の方法】生産に対する生活の学は,同時に産業社会を生み出したこれまでの科学に対する学でもある。すなわち科学の抽象的・計画的・分析的な論理に対して,生活学は総合的・具象的・感性的な方法による知的体系をめざしている。科学文明が曲り角にさしかかるにつれて,それを支えてきた科学的論理構造に代わるものが求められ,諸学はその存在基盤の再確認を迫られているが,その基礎的認識を提供する生活学こそ,実証的な知的体系をつくりだす可能性をもつものといえる。

日本生活学会】生活学の確立をめざして,1974年,今和次郎を会長に日本生活学会が設立された。そののち,間もなくして今は逝去されたが,その翌年から活動は開始され,組織的な研究が始められた。

 主要会員は,石毛直道・梅棹忠夫・米山俊直(民族),高取正男・宮田登・宮本常一(民俗),加藤秀俊・松平誠・松原治郎(社会),篭山京中鉢正美・林雄二郎(社会政策),一番ケ瀬康子(福祉),今井光映(家政),本明実(心理),磯村英一(都市),佐々木嘉彦・高松圭吉・竹内芳太郎(農村),川添登・吉阪隆正(建築),小川信子(住居),栄久庵憲司(道具)など,生活に関連する諸分野の学者たちで,年刊の論文集『生活学』を刊行するなど,活発な学会活動によって生活学は,しだいに市民権を獲得してきている。