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●税(中国) ぜい

アジア 中華人民共和国 AD 

 国家が国民または被支配者より徴収して,国家の運営にあてるものをいう。徴収の形態は一様でなく,貨幣・労働力・現物など多様である。徴収はおそらくは国家の成立とともに始まったと考えられる。中国では税に関する語としては,賦・租・税などが用いられ,それらが組み合わされて租税・租賦・賦税などの語が生まれた。賦は軍事に関する力役からおこり,兵役の義務や人頭税を意味する。税は農産物など収穫物の一部を上納することを意味し,賦とともに力役より生じたことを示す。これに対して租は祭に関する力役よりおこり,神にささげる穀物であり,そこから地代である田租へとなっていった。字義から解釈すると,税は古代中国において支配者が被支配者を奴隷的に使役し,さらに農業を主体としてきた中国社会の伝統のなかで成立してきたことを示している。そして社会の複雑化や貨幣の出現と浸透の中で税目が分化し,課税形態も変化していったのである。古代中国では土地を国有として特殊に区分し,これを集団的に耕作させる井田法が行われ,夏に貢法,殷に助法,周に徹法があったとされる。しかし詳細は不明で,明らかになるのは周代からである。周初には公田に対する労働地代として助法が行われ,西周末東周初ごろから公田・私田の区別がなくなり豊凶に準じて収穫の一部を納める徹法が行われ,春秋末戦国期に数年間の平均収穫高にその10分の1を課税する貢法が出現したとみられている。こうした変化は古代における土地私有制の発展に伴って,氏族的・集団的耕作がくずれ,個別的な零細的経営へ移行していったのに対応していると考えられる。戦国期の秦では社会変化に対応して新しい税制を定めるなどの対応がみられるが,よりいっそう整っていくのは漢代である。課税方式も政府調査によるものと自己申告によるものに分化し,税目も農業の収穫物にその30分の1を課す田租,漁獲物に課す海租,商利益に課す関布の税,塩税・酒税などの山沢園池の税などの別が生じた。このほかに人頭税としての算賦(財産税をかね,貲算ともいう)・口賦があった。これらは銭によって納めさせる例もあったが,主力は現物納税であった。ところで,中国にはこのほかに国家が必要とする労働を人民に割りあて強制徴発する徭役(力役と兵役)があった。先秦時代より始まり,東洋的専制支配体制の特色を示すものとして長くつづいた。税としては田賦よりもはるかに負担の重いものであった。先秦時代には庶民に土木工事や兵糧運搬の義務を課していたが,戦国時代の抗争のなかで貴族と同様に戦争にも従うようになる。こうした軍役は常備軍の誕生とともに現物で代納するようになっていくが,このほかに諸侯の直轄地である公田での従事も当時の徭役として重要なものであった。漢代の徭役は23〜56歳の一般成年男子を対象とし,兵役と力役があった。と同時に毎年一定期間,辺境防備に従う義務もあり,その免役銭を更賦と呼んでいた。漢代の税制は,王朝の人民に対する個別的人身的支配の実例として注目されるが,後漢末になると曹操が戸を単位に現物を納めさせる戸調の制を定め,税額も収穫高に対する定率高から毎畝(ほ)4升とする定額税にあらためた。この戸調制はその後も踏襲され,西晋武帝戸調式を発して占田・課田の制を定めた。南北朝の分裂時代になると,南朝では戸調制が踏襲されたのに対して華北では変化が生じる。北魏が土地制度をあらため均田制を施行したのに伴い,税制もまたあらたまったのである。ここに隋をへて唐中期に両税法に転換するまでの徴税形態となった租庸調体制の基本的枠組みが出現したのである。これはまた同時に,それまでの戸単位の課税に対して,夫婦単位の課税に移行したものであった。ただこれは,隋末より唐代にかけて丁男のみの授田・課税となっていく。このことからもわかるように租庸調体制は時代によって若干異なる点がある。正役である庸のほかに雑徭があった。制度の発展過程には不明な点が多いものの,おもに地方の必要に対応するもので,唐制では丁男・中男のみならず軽度の身体障害者である残疾者にもこれを課すことができ,その代償は貲課と呼ばれた。租庸調および雑徭は隋唐時代の租税体制の根幹をなすものであったが,基礎となった均田制の行き詰りや国費の膨張による経済の行き詰りなどによって手詰りの状態になってゆく。唐朝は財政の行き詰りに対応すべく戸税(銭納)・地税(現物納)の徴収,塩の専売などを行った。このほか戸税の付加税として青苗銭,地税の付加税として長安方面で夏税秋税などを課している。こうした徴税は均田租庸調体制と矛盾するのみならず,租税体系を複雑にするものであった。780年(建中1)に施行された両税法はこうした複雑化した租税体系の改革と国初以来の社会・経済の発展に対応しようとするもので,夏秋2回に現住者の土地(田税・穀納)・財産(戸税・銭納)に応じて課税することを基本とするものであった。このほか商人に対しても売上高に応じて商税(銭納)を徴収しており,ここに唐朝はそれまでの経済体制を大きく転換させることとなる。すなわち,均田租庸調体制下では基本的には国家の収入は決まりきったものである。しかし両税法下では国家の必要に応じて税を付加していくことが可能になり,いわば財政国家へと脱皮していったのである。両税法は以後ながく中国税体制の根幹となったが,財政の逼迫は間架税(家屋税)・除陌銭(売買税),その他の雑税を出現させ,青苗銭をも復活させるなど税制を再び混乱させていく。両税法は唐につぐ五代でも行われたが,戦乱のつづく時代のために省耗・省鼠耗などの税や沿徴と呼ばれる雑税も徴集された。なお,唐代の両税法施行のときに庸は吸収されていったが,雑徭のみは依然としてのこり,五代では丁夫(官物の輸送)・土木水利工事の仕事などに徴発されている。五代を受けた宋代も両税法を基本としたが,五代のときの税制を受けて徴税されたものも多い。税としては公田の賦(官田の小作料)・民田の賦(民田から夏・秋に徴す。両税法にあたる)・城廓の賦(都市の家屋税)・丁口の賦(身丁銭・身丁米・身丁紬絹など,丁男への人頭税)・雑変の賦牛皮銭・茶銭など。沿徴ともいい五代の制をうけたもの)・商税(都市の商店の利益への住税通過税)などからなっていたが,比重も高く重大なのは茶・酒・塩などの専売収入であった。このほか神宗朝で王安石が行った新法関係の税(免役銭・助役銭),南宋の軍関係の税(経制銭総制銭)があり,さらに南海貿易・北方の陸上貿易などに関する関税の収入もあった。これらはまた宋代の著しい商業の発達と貨幣経済の浸透をものがたるものでもある。宋代の徭役は職役が主流であった。職役とは官物を輸送する衙前・州県の役所の事務・郷村の徴税・治安の維持の仕事などがあって郷村の農民がこれにあてられていた。これまた重い税で没落するものが多く,王安石は募役法を行って解決しようとしたが結局失敗に終わっている。元代の租税も宋以来の租税体系を受け継いでいる。正税は農民に課され,揚子江以北では税糧(田租)・科差(庸・調にあたり絹糸でおさめる差発と銀(のち鈔)でおさめる包銀の2例がある)があった。江南では南宋代の両税法を踏襲し,夏税として絹・綿を,秋税として戸等別に田租を徴している。しかし最も重要だったのは商税(営業取引税)や塩・茶・酒の専売収入と南海貿易による利益であった。明の税制はまず魚鱗図冊(土地台帳)・賦役黄冊(戸籍兼賦役台帳)により,里甲制を運営して徴税を行ったことを特色とする。田賦は両税法によって夏税秋糧を徴収し,一般民戸には里甲正役と雑役を課した。里甲正役は里長・甲首職役にあたることで,10年に1度定期的にこれにあたった。雑役(雑泛)は官庁の諸雑役,地方の治安維持,租税の徴収や輸送にあたるものであるが,不定期・不定量に課していた。そのために負担も重く弊害も多かったので,15世紀半ば夏時によって均徭法が創行・施役された。このほか,駅伝の役の分離や民壮の役の新設が行われて,里甲・均徭・駅伝・民壮の役が「四差」として実施されるにいたり,賦役制度が著しく複雑化していった。ところで,明代は銀が流布していく時代であった。経済の発展は銀の需要を高め,税も銀納が要求されるようになってゆく。徭役もまた逐次銀納化されていく。こうした傾向のなかで,従来別々に徴収していた田賦と徭役を一本化して銀納させるようになっていく。16世紀半ばに実施された一条鞭法がこれで,中国税制の2大支柱であった田賦・徭役の合併という点で両税法以来の画期的税改革といえる。また徭役自体も従来の差役法から雇役法へ転換を果たしたという点において画期的改革であった。ただし里甲正役や租税の徴収・運搬に関する役のみは残されている。明代のこのほかの税としては,商税契税(不動産登録税)・酒課・茶課・鉱税があったほか,明末には北辺防衛のための付加税も設けられている。清代の税制はおおむね明の税制を受け継いだもので,田賦と徭役2本だての制をとる一条鞭法を継承している。その一方で付加税の廃止や税の軽減にもつとめている。こうした清の税制改革で最も重要なのが地丁銀の創設である。1712年(康煕51)の盛生滋生人丁の制丁により,壮丁の負担した徭役銀すなわち丁銀を地銀に繰り込むことが可能になり,康煕末年から雍生年間(1723〜35)にかけて地丁銀が成立したのである。ここに長い歴史をもった人丁税が消えて土地税一本になったのである。なお清代の他の税としては,塩課・茶課・魚課・契税当税(質屋営業税)・牙税(仲買人営業税)・房税(家屋税)などが行われていた。

〔参考支献〕加藤繁「支那古代田制の研究」『支那経済史考証』上,1952

宮崎市定「古代中国賦税制度」『アジア史研究』1,1957

吉田虎雄『魏晋南北朝租税の研究』1943

曽我部静雄『均田法とその税役制度』1953

『宋代財政史』1941

清水泰次「明代に於ける役法の変遷」史観8

山根幸夫「15〜16世紀における賦役労働の改革」史学雑誌60−11

岩見宏「銀差の成立をめぐって」史林40−5