●税(西洋) ぜい
ヨーロッパ ヨーロッパ AD
税は,共同体や国家を運営していくための必要な経費を賄うために徴収されるものである。【古代】古代エジプトの国家収入としては戦利品,隣国や属国からの朝貢,鉱山収入のほかに,農産物の収穫税,家畜などの供出,あるいは王侯貴族への兵馬の糧食の徴発などの課税が行われており,また王の直轄領における強制労働なども徴発されていた。農民たちは農産物収穫税の徴発官がくるのを恐れていたことが伝えられているが,王廷廷臣たちは税を免除されていたといわれる。ギリシア・ローマでも農産物に対して,収穫の10分の1を供出させる税があり,内外の商業取引きの発展とともに港湾税・市場税,また滞留外国人には人頭税が課せられていた。またローマ共和政期には属州に対して,東方では10の1税,西方では定額租税を課して,東方では騎士階級,西方では各共同体にその徴収を請け負わせていた。帝政期に入るとカピタティオと呼ばれる入頭税とユーガティオと呼ばれる地租が課せられるようになった。帝政後期のローマの財政はそのような属州の課税によって支えられていた。帝政末に課税が,とくにイタリア半島で強化されるようになると,農民たちは収益の3分の2ぐらいを払わさせられたようである。
【中世】中世に入ると,農業中心の社会となったので,税も耕作地にかかる土地税が中心となってくる。しかしローマ帝国崩壊後は,各地にゲルマン諸国家が分立した。が,いずれの国も強力な国家権力をもつにいたらず,各地に在地貴族が私権を主張し,そうした貴族たちが配下の農民や領民から徴収する私的な税が主体となってくる。王も王領地を領有する封建領主として振舞い,その収入を私物化する風があった。農民たちは,そうした王をも含めた封建領主(貴族)たちから土地を貸与されて保有したが,その地代は,農民の身分に応じて定められていた。不自由な農奴たちの場合は賦役地代であり,自由な農民たちの場合は貨幣地代や生産物地代となっていた。また彼らは領主に対して死亡時には最良の家畜を死亡税として納めた。死亡税は領主から貸与されている保有地を,死亡時に一旦返還するという意味をもっていたもので,王から大所領を封与されていた貴族や騎士たちは,軍馬や甲冑をそれぞれの富裕度に応じて支払っていた。また死亡税とは別に,農民が保有地を受けるときには,大体1年分の収益を基準とした相続税が払われていたが,これも身分の高い貴族や騎士の場合はそれぞれ100ポンド,100シリングを基準としていたことがマグナ=カルタなどよりうかがえる。また領民は,逮捕された領主の釈放を求める身代金拠出のとき,また領主の長男の騎士叙任・長女の結婚のときに,領主に対する上納金として,負担させられており,また未成年の子を遺して死亡した場合には,領主の後見を受け,その子が成人するまでその収益は没収された。こうした封建的風習は,最上層の王と,王から所領を受けていた貴族たちのあいだにもみられ,王にとっては,貴族所領収入を,そのあいだ,合法的に収得できるきわめて有利な財源となっていた。そのほか,領主は領内に市場が立つときに市場税を課すこともできたし,またようやく盛んになってきた商業取引きに関して道路・橋・川の通行税をとることもできた。とくに中世のあいだは河川が商品運搬に利用されたが,セーヌ川では200マイル行くと商品価格の半分ほどの関税がかかったといわれ,ライン川では12世紀に19,14世紀に50,15世紀に60の関所があったといわれる。いずれも在地貴族の関税収入となったわけである。
【中世イギリス】中世には私権が発展して国家公権・国王権が伸びにくかったが,イギリスでは早くから国王権が強く,王が全国的に賦課する税が,比較的発展した。最も原初的な国王課税は,王が国内を巡回したときに受ける饗応地代であるが,王の支配権が拡大してくると,支配下に入った諸地域は何らかの税負担を負わされた。イギリスでは8世紀のマーシア王が支配下の種族について調査したトライバル=ハイデイジという課税表がある。またデーン人の侵入をうけたとき,デーン人を撃退するための軍備費や,買収費としてデーンゲルドの徴収が10世紀末から始まったが,そののちこれは,1ハイドを基準に拠出させられるハイデイジやカルケイジと呼ばれる土地税に発展してゆく。またノルマン征服後のウィリアム征服王が全貴族領に課した騎士役賦課が,12世紀には,スキュテイジと呼ばれる軍役代納金として,金納される風がおこり,内外の出征時にはその軍役代納金が徴発され,その負担は貴族の配下の騎士や農民に転嫁された。また王の支配と権威が高まってくると,初めは王領地だけに課していたタリッジと呼ばれる国王恣意税をしだいに全国に及ぼしていくようになった。同様な経緯は中世末から絶対王政期に発展したフランスのタイユ徴収にもみられる。
【多様な税】イギリス中世の税について注目されるのは,12世紀末から始まった動産課税である。従来の税が,土地を基準として賦課される土地税であったのに対し,収益について,その何分の1かを徴収する税が始まった。十字軍費用のために徴収されたサラディン=タイス(1181),ドイツに抑留されたリチャード1世の釈放のために徴収された国王身代金(1194)は,その巨大な額もさることながら,収益に対して課された動産課税の先駆として,税制史上注目される。そうした動産課税は,14世紀に入って都市10分の1税・農村15分の1税として定着していくが,動産課税が徴収されるためには,収益を査定する機構が発展していなければならない。動産課税発展の背後には十全な行政組織が確立していたことが考えられる。またその14世紀には農民一揆につながった悪名高い人頭税,またようやく盛んになった羊毛輸出やブドウ酒・雑貨の輸出入を課税源とした羊毛税・トン税(従量税)・ポンド税(従価税)という関税も徴収されて,当時の百年戦争の財源となった。そのほか,中世には教会を維持していくために,収穫の10分の1を教会に納めるタイスという教会税もあった。メロヴィング=フランク王国の宰相であったカール=マルテルやその孫のカロリング=フランク王国のシャルルマーニュらが,教会領の一部に騎士役を負う軍役保有地を創設したさいに,その代償として教会のタイス徴収権を保証したといわれている。このタイスはユダヤ教時代からの古い風習にもとづくものといわれる。
【近代初頭】中世から近代にかけて商工業や外国貿易が盛んになると,課税源も拡大して関税や直接税・間接税の種類も多くなる。そのため徴税にあたって,税を負担する庶民層の何らかの関与も必要となり,各国で庶民の代表を議会に召集する機会がふえてくる。課税が庶民に政治への関心を呼びおこしてゆく機会となり,各国に議会(庶民院)をおこしてゆく契機となった。絶対王政期には,王側の課税の強化と,それを阻止しようとする議会(庶民院)を中心とした庶民の抵抗との葛藤がみられ,課税の重圧と貴族ら特権階級の免税特権,つまり課税の不公平が盛んに論議されることとなった。イギリスではヘンリー7世が尚書長官ジョン=モートンを起用して,しきりに上納金を取り立て,当時西ヨーロッパで最も裕福な王となったといわれるが,チャールズ1世時代の船舶税は,従来の慣行を破って,港町のほかに内陸都市にも,海軍維持のための重税を強いるものであった。1628年の「権利の請願」は,頻繁な課税を批判して,同意のない課税に反対することを主旨の一つとするもので,マグナ=カルタとともに,イギリス憲政の重要な原則を示すものとして注目される。フランスにおいても,絶対王政期には悪名高いタイユがあった。本来は上級裁判領主が,領内の全住民から保護の代償として徴収したもので,王も王領地においては徴収していたが,15世紀から王の中央集権がすすむとともに,王のタイユがしだいに領主のタイユを圧倒していき,フランス絶対王政期を象徴する税となった。北部には対人タイユ(所得税),南部には対物タイユ(地祖)が課せらられたが,徴収額を決めて,それを上から割り当てたものであった。しかもその割り当てからは貴族が除外されていたために,庶民の負担は収益の半ばにも達する,きわめて不公平な税で庶民の不平のまととなり,フランス革命を呼ぶにいたった。そのほかにルイ14世時代に人頭税(1701)・20分の1税(1749)が始められ,さらにのちには飲料消費税・塩税などの間接税や関税などが重くのしかかり,そのうえに軍隊の兵站(へいたん)輸送や道路工事に庶民が徴発された。
【アメリカ独立と税】またイギリス重商主義政策のもとで苦しんでいたアメリカ植民地においても,砂糖税・印紙税,さらに茶税などの課税による不当な搾取がひどく,本国の議会に代表を送り得ない状況に置かれていた植民地の人々は〈代議なきところに課税なし〉と主張し,ついにアメリカ独立革命へと導かれていったことは有名である。
【近代の税へ】絶対王政期は,国工の恣意が王権神授説などによって正当化され,国王の勢威を誇示する戦争や豪華な宮殿建築に巨額の資金が必要となり,そのうえに古くからの貴族たちの免税特権が身分的特権として行われつづけ,税負担はすべて貧しい庶民が負っており,庶民の課税の重圧感・不公平感が頂点に達した時期であった。市民革命はそうした不合理を一掃するものであった。税制のうえからみると,近代民主主義政治は,公正な課税と同意にもとづく課税をめぐって成立したものであるともいえる。市民革命ののち,封建的徴税体系が廃止され,人民の課税同意権が尊重されて国家財政は公共的性格を強く帯びてくる。行政組織の発展とともに,富・所得の評価もより適正に行われて公正な課税をめざすようになる。産業革命以後は,生産や商業が著しく発展して社会生活も多岐となり,財産税や相続税,種々な関税や間接税が顕著に進展するが,戦争のための臨時の所得税(1799年のイギリス)・臨時の消費税(1918年のドイツ)が徴収されることもあった。第一次世界大戦後は,一般に,所得税を中心とするイギリス・アメリカ型の税制をとる方式と,消費税を中心とする西ヨーロッパ大陸型の税制をとる方式とがみられる。