●駿府町奉行 すんぷまちぶぎょう
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江戸幕府の地方行政の職名。老中支配に属する職で,1607年(慶長12)設置。初期は駿府町の一般行政をはじめとして[1]駿河・伊豆の幕府直轄領の貢租徴収権,[2]公事訴訟の裁判権,[3]諸大名の監督権,[4]宿場交通の取締権,[5]久能山東照宮の整備,などを管轄している。のち,その権限は,徳川家康の死によって二重政権を解消し,将軍自体の権威権力の強化がはかられている。時代が進むに従って,駿府の力は小さく限定されてくる。まもなく駿河・伊豆の直轄領は駿府代官に任され,1616年(天和1)になると一時廃止され,1632年(寛永9)に再開されている。これは駿河大納言忠長の反抗ともつながりがあるが,定員2名のち1名に減少した。役料500俵で,地位の割に禄扶持はあまりよくない。言い換えると比較的軽職であった。それは家康が大御所政治を展開していたころのように,駿府町そのものが権威のシンボルでなくなっていったこととかかわっている。そのことが地位低下とつながったのである。